劉学亮 BYDアジア太平洋地域販売事業部総経理 ビーワイディージャパン株式会社代表取締役社長
イノベーションの力で「EV社会」を実現

横浜は日本で初めて鉄道が開業された地であり、日本の近代化の震源地である。中国発の新エネルギー車の先駆者である比亜迪股份有限公司(以下、BYD)は、日本法人(ビーワイディージャパン株式会社)をこの地に構えた。先ごろ、われわれはビーワイディージャパン株式会社を訪ね、BYDアジア太平洋地域販売事業部総経理で、ビーワイディージャパン株式会社代表取締役社長の劉学亮氏を取材した。劉学亮社長はEV社会の構築によって、より良い暮らしをもたらしたいとの夢を語ってくれた。

日本の公共交通機関で証明

2022年7月21日、BYDの乗用車が正式に日本市場に参入したというニュースは、直ちに日本のメディアから大きな注目を集め、日本の新エネルギー開発史上、画期的な出来事となった。BYDは実際には、23年前に日本市場に参入しており、自動車市場には7年前に参入している。2015年、BYDの電気バスが京都の街に乗り入れた。その後、上野動物園、長崎ハウステンボス、尾瀬国立公園……と、BYDの電気バスを日本のそこかしこで目にするようになった。

「公共交通機関は劣悪な天候のもとでも運行しなければならないため、EV の安全性を証明するのに最も適しています。また、EV車が社会に受け入れられるかどうかを検証するベンチマークともなります」。

この日、日本の販売代理店から劉学亮に連絡が入り、埼玉のバス運転手からの謝意が伝えられた。日本の都市部は住宅地が密集しており、住宅とバス停が近接している。ディーゼル燃料を使用していた頃は、常にバスの排気ガスと騒音が運転手への苦情の原因になっていた。かと言って、乗客を待っている間エンジンを切ると、車内が熱すぎたり寒すぎたりして、乗客から苦情が出る。この問題はバスの発着点で特に顕著であったが、BYDの電気バスに替えてから、これらの問題は氷解した。排気ガスは出ず、発進時の騒音もなくなり、住民からの苦情もなくなった。BYDの電気バスは結果をはっきりと示し、日本市場で信頼を勝ち取った。

競合他社が相次いで航続距離を250㎞と公表していた頃、BYDの航続距離はすでに250㎞を超えていたが、バスに関しては、航続距離を200㎞と公表していた。それは、道路がどんな悪条件の下でも、予定通りに業務を遂行し、乗客や社会に安全で安心のサービスを提供できるようにとの思いからであった。実際の航続距離が300㎞に迫るか、それ以上であることに気付き驚いた運転手もいた。こうして、BYDは電気バスを日本に納車した当初の日本のネットユーザーたちの疑問に、満足のいく回答を示した。

率直に言って、モビリティサービスを行う企業は営利を目的とはしていない。ディーゼル燃料やガソリン価格の上昇は、ドライバーや運営業者にとっては悩みの種である。日本列島を南北に駆ける電気バスは、動く広告塔のようなもので、安全、クリーン、エコ、省エネが、BYDのイメージとして根付き、日本の電気バスの70%以上をBYDが占めるようになった。

 

産業チェーンの一本化が

生み出したマスクの奇跡

突然襲ってきたコロナ禍によって、この数年、ほぼ全ての産業が深刻な問題に直面している。国際情勢の激変によって、原材料は不足し、インフレは加速し、不確定要素は増している。「脱グローバル化」が熱く議論された時期もあった。

一方で、「バッテリー、モーター、コントローラ、車載用ICチップ等のコア技術を全面的に掌握する」ことで、IT産業、自動車産業、鉄道輸送に至る産業チェーンの一体化を成熟させつつあるBYDは、世界に中国の力を知らしめた。ところが、「現在、熱く議論され評価されている『産業チェーンの垂直統合』は、当初は、あまり有望視されていませんでした」と劉社長は語る。

2020年の初め、中国は世界に先んじて企業活動を再開させたが、10数億の国民の健康と安全を守るのは容易なことではない。苦境の中にあって、BYDは産業チェーンの一体化によって、防疫マスクの生産を実現させたのである。

衛生防疫製品の生産には厳しい条件が課される。自ら電子製品生産のクリーンルームをもつBYDは勇んで社会的責任を担った。短納期の上に責任は重く、マスク専用の生産設備を持たないため、BYD独自で設計、生産を行った。春節休暇中、4万人のエンジニアが協力し、10万人の従業員を動員し、3日で設計図を確定し、7日で設備の設計・組み立てを完成させ、10日で合格品を生産ラインに乗せた。ピーク時には、1日に1億枚のマスクを生産した。設計・生産、輸送、輸出梱包まで、BYDが単独で責任を負い、欧米の国々は競って買い求めた。危機に応じて生まれた「副業」であったが、マスク大国の日本でBYDのマスクの売上高はトップであった。後に、BYDが起こしたこの奇跡は、「マスクの精神」と呼ばれるようになった。

27年前の創業当初、「市場は何を求め、われわれは何をすべきか」を探求していたBYDは、27年後の今、新エネルギー車業界の先駆者として、社会的責任を担っている。壁にぶつかったときには、やはり「市場は何を求め、われわれは何をすべきか」を探求する。

安全性が技術開発の前提

業界の先駆者であり、中国国内で新エネルギー車のトップの販売台数を誇るBYDは、市場のわずかな変化からも影響を受ける。「先駆者には、相応の責任と圧力を引き受ける勇気が必要です。市場の試練に持ちこたえられることができれば先駆者となり、そうでなければ『烈士』となります」。劉学亮のユーモラスな言葉には、BYDで働く人びとの堅実さと自信が表れている。

「BYDのEV車に乗っていると、帰りたくなくなる」という声が聞かれる。スマート技術を導入した新エネルギー車は、ハードウェアとソフトウェアを統合したキャリアであり、上質で効率的なライフスタイルを提案する多機能空間に生まれ変わった。そこでは安全性が重要な要素となる。

世界の自動車メーカーでは唯一、バッテリーメーカーとして創業されたBYD は、27年間、バッテリーの安全性の追求を怠ったことはない。安全性は、バッテリー技術の核心中の核心である。安全性が全ての技術仕様開発の前提である。

かつて、三元系リチウム電池が世に出た際、リン酸鉄リチウムイオン電池のエネルギーパラメータが疑問視されたことがあった。2020年3月29日、BYD はリン酸鉄リチウムブレード・バッテリーを正式に発表した。その安全性を検証するために、BYDはリン酸鉄リチウムブレード・バッテリーに釘差し試験を実施した。このテストの成功は世界中に熱い議論を巻き起こしただけでなく、今も打ち破ることのできない業界の神話となっている。

 

環境にやさしい生態圏と

EV社会」を構築

BYDジャパンを取材した日、日本の主流メディアが、新築マンションには一定数のEV充電設備の設置を義務付けるべきだとの議論を取り上げていた。記者はこの問題を劉学亮社長にも投げかけてみた。

「日本の充電設備の普及は中国や欧米に後れを取っています。しかし、10年前は中国も同じ状況でした」。彼は日本のEVの未来を楽観視している。

一部の僻地では人口が減少し、青壮年の労働力は流出し、ガソリンスタンドは減少の一途をたどっており、高齢者は不自由を強いられている。EV車は買い物や通院の問題を解決し、石油危機による燃料費の高騰にも影響されない。

さらに、BYDのEV車は可動式の小型充電スタンドにもなり、緊急時には必要な場所に電力を供給することができ、地震や台風などの自然災害が頻繁に起こる日本では、有り難い存在である。

日本は精密機器の製造を得意としている。特に小型機器や特殊機器には定評がある。2010年、BYDは世界トップの金型メーカーの日本工場を買収し、日本の製造技術の優れた点を吸収し、定期的に中国と日本の従業員を派遣し合い、交流・学習を行っている。

今日、BYDのラインナップは、タクシー、乗用車、観光バス、ゴミ収集車、路線バス、配送車両、建設車両の7つの通常領域、及び空港、埠頭、倉庫、鉱山の4つの特殊領域に及ぶ。

グローバル化は、27年前に深圳で誕生したBYDが確立した創立以来の原則である。BYDは、産業チェーンをより大きく、より専門的に、より包括的に、より強力にする一方で、常にグローバルな視点と未来志向のビジョンをもって、全てのパートナー及び世界の設計者にプラットフォームを開放してきた。取材中、劉学亮は何度も海外の販売代理店とパートナーの重要性を強調した。

燃料車時代の評価基準は、1台の車を売ることでどれだけの経済価値を生み出せるかであった。新エネルギー車時代に考えられているのは、走行距離1㎞当たりで、どれだけの経済価値を生み出すかである。「時代はチャンスを与えてくれます。このチャンスはEV車の業界に限られたものではなく、あらゆる業界に与えられた千載一遇のチャンスです」。BYDジャパンは、販売、保険、物流、メンテナンス等の16の分野の代理店と提携契約を結んで事業を創造し、新たなトラックで、国籍・民族を問うことなく協力し、刷新を図りながら、持続可能な、より良い、よりスマートな「EV社会」の構築を目指す。

 

取材後記

取材を終えると、BYDのe‐platform3.0を採用した初のSUVであるATTO 3(アットスリー)への試乗を促され、ドラゴン・フェイス・デザインが美しいATTO3のスピード感と情熱を身近に体験した。超大型の縦画面タッチパネル、ダンベルを模した空調吹き出し口、ギターの形状が縁どられた座席シート、五線譜をデザインしたドアハンドル……。ハンドルを握ったことのない私が、初めて運転してみたいという衝動に駆られた。私が運転するのは車ではなく、未来の生活だ。