鑑古堂の古美術鑑定〈5〉
帝王たちが愛した紅い色——剔紅の魅力

皇帝が好んだ朱色

皇帝が好んで用いた剔紅

これが、第5章となる今回のテーマである。

明・清両朝の皇宮である北京の故宮・紫禁城を訪れて、最も多く目にする色が赤だ。朱色の城壁、朱色の柱と梁。古代の皇帝たちは、赤は国に繁栄をもたらし、皇帝の子孫繁栄をもたらし、皇帝の権力を末代まで永らえさせる色だと信じていたからである。

従って、城壁の中柱だけでなく、宮廷内で使用される調度品や服飾も赤いもので溢れている。今回は、古代の工芸品である剔紅漆器について述べてみたい。

漆器は古い歴史を持つ伝統工芸品であり、最も古いものは、殷・周王朝の時代まで遡り、侯家荘の殷王朝の王家の墓から漆と貝殻の象嵌による精美な調度品が出土しており、当時の手工芸の技術の高さを物語っている。漢・唐代の無地の漆器は、それらが基礎となって進化したものだ。

宋・元の時代になると、素地の表面に漆を塗り重ねて層を作り、彫刻を施す工芸が出現した。今日の剔紅である。

剔紅は堆朱彫りとも呼ばれる、古くからの中国の伝統的な漆工芸のひとつで、宋・元の時代に成熟し、明・清の時代に進化を見せた。通常、木と麻や金属の型の上に赤い漆を少なくとも80~90層、多くて100~200層、厚みが出るまで塗り重ね、半乾きになったら下絵を描き、模様を彫刻する。

プロセスが非常に複雑で、制作に時間を要し、高額になるため、堆朱彫りの器を使用することは、古代の君主、貴族、有力者の特権であった。

いま、著者の目の前にある『三聖嬰戯図八角大捧盒』は、明代中期の代表的な作品である。

木製の朱塗りの捧盒は、八角形で上下二層になっている。大型で丸みを帯び、上下に弧を描き、底部は圈足である。

蓋には、楼閣、雲に乗った鶴、福禄寿三星が祥雲に浮かぶ様が彫刻されている。この俗世離れした穏やかな光景は、古人の長寿と幸福への憧れを表現している。

蓋の周囲に区分けされた8つの面には、それぞれ2人の子供がふざけ合ったり、競い合ったり、将棋を指したり、武芸を練習したり、鞠突きをしたり、踊ったりして元気に遊ぶ様子が生き生きと描かれ、貴族の子孫繁栄への願いが込められている。

上部と下部は対称の八角形をしており、それぞれの8つの格子窓には、梅、椿、牡丹、芙蓉、シャクヤク、菊など四季の花々が彫られており、主の、四季がそれぞれ豊かであるようにとの願いが表れている。

この豪華な剔紅大捧盒は、貴族或いは王室の宝物であったに違いない。どんな名工の手によるもので、どんな貴人が客をもてなすのに使用したのだろう。古物の背後には常に多くの物語や伝説がある。われわれは時空を越えて様々に思いを巡らすのである。