南雲 二郎 ニセコ蒸溜所代表取締役
独自のウイスキーで北海道から海外展開したい

新潟県南魚沼市に本社を置く八海醸造株式会社は、日本酒「八海山」などを醸造する日本で有名な創業100年の酒造メーカーである。同社は2019年2月、スキーリゾートで知られるニセコ町にグループ会社である株式会社ニセコ蒸溜所を設立し、ウイスキーの製造を開始した。先頃、ニセコ蒸溜所を訪ね、なぜ北海道のニセコ町でウイスキー造りを始めたのか、ジャパニーズウイスキーの人気が高まる中国市場をどう見ているのか、そして今後のビジネス展開や将来ビジョンなどについて、南雲二郎代表取締役に話を聞いた。

日本酒市場が縮小する中

新たな市場に参入

­―― 八海醸造は日本酒「八海山」などを醸造する日本で有名な酒造メーカーです。2019年2月、グループ会社としてニセコ蒸溜所を設立し、2021年10月グランドオープンしました。ウイスキー造りを始めたきっかけを教えてください。

南雲 八海醸造は今年で創業100年を迎えました。これまで日本酒を始め、ビール、焼酎なども造っており、その中心にあるのが日本酒「八海山」で、淡麗でバランスの取れた新潟清酒を造り続けています。

近年、日本酒市場がシュリンク(縮小)する中、蓄積された発酵の技術・経験、酒造りの感性を持っている会社として、ノウハウを生かせるのであれば新しい市場をつくって挑戦しようと考え、2016年にウイスキーの免許を取得しました。端的に言えば、日本国内だけでなく、世界の市場の中で競争できるお酒を造りたかったのです。

免許取得と同時にウイスキー造りを始めたのですが、100年にわたって日本酒を造ってきたことに加え、米焼酎など他の酒類も造っていたので、独自に米ウイスキーを造り出しました。

ニセコはウイスキーの

長期熟成に適した地

 ―― 八海醸造のある新潟ではなく、北海道のニセコ町を選んだ理由は何ですか。

 南雲 日本中にスキーリゾートと称されるところは数多くありますが、バブルが弾けてどこも疲弊している中、ニセコは世界に通用するリゾート地になるという話を聞いていたものですから、2010年くらいに初めてニセコに視察にやってきました。

 その後、何度もニセコに通う中で、外国資本がもっと入れば、世界に通用するリゾート地になるだろう、などと考えながら、いろいろと自分なりにニセコ研究をしていました。

そうする中で知り合った地元役場の方から、ニセコで何か(事業を)やりませんかと提案されましたが、先ほど述べたように、2016年から米ウイスキーの製造を行っていたこともあり、新たな市場の中で、あえてモルトウイスキー造りに挑戦したいと思うようになっていました。

世界に認められるジャパニーズウイスキーとして、目指す品質は明確にしておかなければいけません。ウイスキーの質を決めるのは、蒸留の仕方、カスク(ウイスキーの熟成に使う木製の樽)の種類・大きさ、それから重要なのが時間です。10年から20年熟成させるには温度差が必要ですし、1年を通じてあまり低過ぎず、高過ぎない環境が求められます。

ニセコでは、夏も冬も一日の寒暖差は10度~20度くらいで、日中の最高気温は夏と冬で36度くらい差があります。これは、ゆっくりと熟成していく長期の貯蔵に適した環境といえます。

長期的な展望に立った製品開発・品質開発をしていくうえで、新潟で造るよりも、ニセコで造った方が、われわれの目標品質に近いものが造れるのではないかと考え、この地に新たな可能性を見出し、初の県外進出を決めグループ会社を立ち上げました。

ウイスキーの熟成には何年もかかります。現在、蒸溜所の観光資源化も含め、ニセコ町と共に本物のジャパニーズウイスキー造りにじっくり取り組んでいるところです。

 

「永遠に終わらない会社」

を目指し果敢に挑戦

―― 第一弾商品のクラフトジン「ohoro GIN(オホロ ジン)」の「ohoro」とはアイヌ語で「続く」という意味です。命名に込められた思いと、御社のウイスキーの特徴について教えてください。

南雲 我々が一番大事にしているビジョンは、「永遠に終わらない会社」ということです。今年、八海醸造は創業100年を迎えましたが、日本酒メーカーにこだわらず、とにかく継続する会社を目指そうという考えです。その意味から、北海道ニセコでのグループ事業も継続していかなければならないので、「ohoro」というアイヌ語を命名しました。「継続は力なり」です。

当社のウイスキーの特徴としては、泥炭(ピート)を使った香りの濃いものではなく、バランスの取れた繊細な味のジャパニーズウイスキーを目指しています。

これには、長期の貯蔵期間が必要です。短期間で出してしまえば、樽のえぐみなどが残って、当社が目指す品質とは程遠いものになってしまいますので、10年は熟成が必要だろうと今までの経験値から感じています。

日本のみならず世界の市場で、ウイスキーの品質と価値を認められることが、酒造メーカーとして一番大事なことだと考えています。

日本酒メーカーとして

独自のウイスキーを造る

―― 日本酒造りとウイスキー造りに共通点はありますか。

南雲 それは「発酵」ですね。八海醸造は主力の日本酒をはじめ様々な飲料を製造しています。ニセコでのウイスキー造りの特色は、日本酒メーカーが造るウイスキーだということです。

日本酒は目標品質に近づけるために、非常に繊細な発酵技術が求められます。ニセコでウイスキー造りをする際にも発酵管理を徹底しています。そういう意味で、当社のウイスキーは、繊細な発酵技術を取り入れたジャパニーズウイスキーだという意識を強く持っています。

10年後、20年後にそれがどれだけウイスキー造りに影響するかはまだ分かりません。ただ、日本酒メーカーとしての一つの特色を出していく中で、繊細な発酵ができるゆえに、雑味などは無くなってしまいます。

そのために、ブレンド用に泥炭を使ったものも造っておいて、香りなど、バラエティー豊かにするというイメージをもって取り組んでいます。きれいなアルコールさえ造っていれば、それでベストだとは思っていませんから。

 

世界の市場で認められる

良質のウイスキーを造る

―― 近年、中国ではウイスキー市場が急成長しており、ジャパニーズウイスキーが大変な人気です。中国市場をどのように見ていますか。

南雲 中国市場はすごく魅力的です。市場規模は大きく、発展をし続けています。日本もそういう時期は元気があり、八海醸造も日本酒を中国に輸出していました。

すごい市場だなと感じて、私自身も中国に通っていたのですが、東日本大震災の原発事故で新潟からは輸出が出来なくなりました。すでに10年以上経ちますが、これまでの経験も含め、やはり中国市場はすごいと感じていますし、これからもっと成熟してくると思います。

そうなってくると、単にジャパニーズウイスキーだから良いというよりも、品質が伴った良さ、価値をもっと深いところまで認識してくださる方がどんどん増えてくると思います。

大きな市場の中で、当社のウイスキーが、品質の良い商品として認められれば良いと思いますが、まだ数年の会社です。世界市場で認められるには、それこそ時間が必要であって、われわれ世代の後の人たちが目指すことはできるかもしれませんが、いずれはアメリカや中国、ヨーロッパの市場で認められるようになりたいと思っています。

10年、20年先を見越し

地道に成長を遂げる

―― 今後の事業展開や中国進出など、社長の夢をお聞かせください。

南雲 日本のアルコール市場は、日本人だけを相手にしていると、今後シュリンク(縮小)していきます。人口も減っていますし、1人当たりの飲酒量も下がっています。

内需が低いですから、日本国内で成長をしていくためには、他社と相当な競争をしないといけません。そうしますと、成長を求めて営業のポイントとなるのは、インバウンドと輸出です。

新潟県の場合、東日本大震災の影響で、中国市場に関して輸出はゼロですが、日本の市場がシュリンクしていく中で、会社は成長しないと継続がないですから、成長していかなくてはなりません。

中国の市場は素晴らしいと思っていますので、近い将来では、日本酒メーカーとして、そして10年後、20年後にウイスキーメーカーとして、中国の人が評価してくだされば良いと思っています。

中国市場は、そう簡単にシュリンクしないと思いますので、われわれ企業家としては、今後も非常に頼りになる魅力的な市場であると確信しています。

当社のウイスキー造りは誰も真似ができませんので、今から我慢強く時間をかけて成長していく、そして北海道のニセコの地から、中国をはじめ海外に大きくビジネス展開するのが私の夢です。