稲垣 貴彦 若鶴酒造株式会社取締役 三郎丸蒸留所ブレンダー&マネージャー
急成長する中国のウイスキー市場に期待

若鶴酒造株式会社は1862年(文久2年)創業の160年の歴史を持つ老舗酒造で、北陸唯一のウイスキー蒸留所である三郎丸蒸留所は、1952年にウイスキー製造を開始しており、今年で70 周年を迎える。先ごろ、若鶴酒造株式会社取締役で、三郎丸蒸留所の稲垣貴彦ブレンダー&マネージャーに、日本のウイスキー産業発展の課題と展望、そして中国のウイスキー市場への期待などについて伺った。

サンシャインウイスキーの

命名に込められた思い

―― 1953年に最初のウイスキー「サンシャインウイスキー」を発売しますが、誕生秘話をお聞かせください。

稲垣 戦争が終わって米がない時代、当社では日本酒が造れない中で、米以外のものからお酒をつくる研究をしました。1947年に若鶴発酵研究所で蒸留酒の研究を始め、1950年に雑酒の製造免許を取得しました。

3年後の1953年春に「サンシャインウイスキー」を発売したのですが、その際、地元から名前を公募しました。そのときの賞金が1万円、ラーメンが一杯25円の時代ですから、現在の金額に換算すると30万から40万円になります。そうした意気込みを持って、富山初のウイスキーを世に送り出したのです。

実は、最近まで命名者が誰か分かっていなかったのですが、ある時、地元の主婦の方から手紙を頂き、サンシャインウイスキーをスーパーで見つけて、「これは父が名付けたウイスキーです」と知らせてくれたのです。

早速その主婦の方を訪ね、お父様が晩年に書かれた「自分史」を見せて頂きました。戦時中、最終的にシンガポールで終戦を迎え、2年間抑留されていた時に、イギリス兵の方がすごく親しくしてくれて、サンシャイン[Sunshine]という言葉を教えてくれた。その言葉が印象に残っていて、日本に戻ってきてから、ウイスキーの名前の公募を知り、「サンシャインウイスキー」と名付けたら2000通の中から選ばれた。その頃はサンシャインという言葉は珍しかったが後の時代になるとたくさんのものにつけられるようになった。戦後の復興と自分の将来への希望という思いを込めて命名した、ということでした。

―― 御社のウイスキーの特徴と強みについて教えてください。

稲垣 日本で唯一、スモーキーなウイスキーのみを造っているのが当社の特徴です。昔は、薬臭いとか煙たいとか言われて人気があまりなかったのですが、現在では、スモーキーなものを好む人たちがすごく増えてきました。やっと時代が追いついてきたなと感じています。

 

「伝統」と「革新」で

ひ孫の代まで紡ぐ

―― 外資系IT企業を辞めて富山に戻り、三郎丸蒸留所の改修に取り組まれますが、ウイスキー造りを始めるようになったきっかけは何ですか。また、ウイスキー造りのこだわりについてお聞かせください。

稲垣 私が富山に戻ってきたのは2015年ですが、曾祖父が蒸留した1960年のシングルモルトウイスキーがちょうど55年間熟成されていて、それを飲んだら、すごくおいしかったんです。

半世紀以上の時を超えて、ひ孫の代まで飲み継がれるものはないと思いましたし、ウイスキーを通じて曾祖父の時代とつながったような気がして、それでこういうものをつくりたいと思ったのがきっかけです。

私のウイスキー造りのテーマは、「伝統」と「革新」です。当社は昔からスモーキーなウイスキーを造ってきた中で、自分もやっぱりその味が好きですし、伝統を守っていますが、一方で、自分の理想とするウイスキーの味も求め続けています。

 

ウイスキー産業の発展に

ボトラーズ事業で貢献

―― 本年4月、世界初となる日本のクラフト蒸留所5か所のモルト原酒をブレンドしたウイスキーを販売開始しました。ジャパニーズウイスキーボトラーズ事業の目的と取り組みについて教えてください。

稲垣 T&T TOYAMAでは、世界初のジャパニーズウイスキーボトラーズ事業を2021年から開始しており、その一環として各地のクラフト蒸留所と連携し、日本の四季折々の気候が育む個性豊かなウイスキー原酒を用いたブレンデッドモルトウイスキー造りに取り組んできました。

スコッチウイスキーには、大きく分けて2種類の商品体系があります。一つは各蒸留所が生産して販売するオフィシャル商品で、もう一つは独立系瓶詰業者(ボトラー)が販売するボトラーズ商品です。

日本では、本場のスコットランドにならい本格的なウイスキーが盛んに造られるようになりましたが、本格的なボトラーは存在していませんでした。

たとえば、ボトラーズから商品を発売することにより、同じ蒸留所のウイスキーであっても、熟成年数や樽、熟成環境の違いなどからウイスキーの多様性が生まれ、愛好家の楽しみの幅が広がり、蒸留所の知名度向上とブランディングに貢献することができます。

今後、多くの蒸留所が出来てくる中で、蒸留所と蒸留所をつなぐ存在のいわゆるボトラーズが、日本においても必要になってくると思っています。

ウイスキー事業は莫大な初期投資が必要で、毎年の仕込みにも、相当の費用が掛かります。しかし、3年経つまでは売り上げにつながらない。しかもその間、販売できる商品がないため、販路や知名度をたかめることが難しい。

そこで、ボトラーズを通じて、造った原酒をキャッシュに換えることができれば、蒸留所は安定してウイスキー造りに取り組むことができますし、新たな設備投資も可能です。今まではすべて自身で熟成と販売をするしかなかったのがボトラーズという選択肢ができることで日本のウイスキーの多様性につながります。

蒸留所はウイスキー造りに集中して、ボトラーズは、そのブランディングやプロモーション、販路開拓など、お互いの強みを生かせば日本のウイスキー産業はもっと発展できるのではないかと考えています。

 

協力し合い世界に冠たる

ウイスキー銘柄を創出

―― 今後、日本のウイスキー産業を、ブームに左右されず、国際的な競争力のあるものに育てていくために重要なことは何だとお考えですか。

稲垣 それはやはり、自分の利益を優先するのではなく、共に伸びていくという姿勢が大事だと思います。世界全体のウイスキー市場は約6兆円ですが、日本のウイスキーの輸出総額は462億円です。

輸出量もまだまだ少ない中で、限られた市場を奪い合うのではなく、日本のウイスキーそのものを世界に届ける努力をし、多くの人に知ってもらい、価値を感じてもらうことに、手を取り合って取り組まなければいけないと思います。

スコットランドのウイスキーの魅力は多様性です。130カ所ほどある蒸留所の味は全部違うのですが、小さな蒸留所も大きな蒸留所も、支え合って全体を大きくしてきました。日本全体で産業としてのウイスキー製造を育まないと一時のブームで終わってしまうのではないかと危惧しています。

将来的に日本のウイスキー産業をどのように育てていくのかを考えなければいけません。例えば、バランタインという銘柄は、30カ所以上の蒸留所の原酒がブレンドされて造られています。ですから、日本を代表する様々な蒸留所の特性が組み合ったようなブレンデッドウイスキーなど、世界に冠たる日本のウイスキー銘柄が出てきても面白いのではないかと思っています。

 

中国のウイスキーの

魅力の高まりに期待

―― 近年、中国ではウイスキー市場が急成長しており、日本のウイスキーが大変な人気です。中国市場をどのように見ていますか。

稲垣 北京や上海など、これまで3回ほど中国に行ったことがあります。今はウイスキーが広まったばかりなので、今後いろいろなウイスキーが飲まれる中で、文化としても深まり、人気もさらに高まってくると思います。

それから、峨眉山の「チュアン・モルトウイスキー蒸溜所」など、中国ではすでに大きな蒸留所もたくさんできています。今後は、いろんな国のウイスキーが出てくる中で、中国のウイスキーの魅力が非常に際立ってくると思います。

来年2023年、日本のウイスキーは100周年を迎えますが、もともとは舶来品であったウイスキーが、本当の意味でジャパニーズウイスキーに根付いていったのは1970年から1980年代くらいですから、半世紀以上かかっています。

その意味で、時を経るにつれ、今後さらにウイスキー人気が高まり、中国で大きな国際イベントが開催されるのではないかと期待しています。

 ―― 三郎丸蒸留所は北陸で唯一のウイスキー蒸留所です。地ウイスキーとしての将来展望や今後の夢をお聞かせください。

稲垣 当社のウイスキー造りは今年70周年で、30年後に100周年を迎えますから、今年造った30年ものがちょうど100周年に飲めるというのが一つの楽しみです。

北陸唯一ということですが、北陸にもっといろんなウイスキー蒸留所ができてほしいと思っています。当社はスモーキーなウイスキーしか造らないですし、味もリッチで重厚なタイプをつくっていますので、今後、いろんなタイプのウイスキーが北陸に生まれ、それらを組み合わせることで、より皆さまに喜んでいただけるウイスキーが造れるようになれば嬉しいと思っています。