鑑古堂の古美術鑑定(2)
「如意」を巡るよもやま話

「如意」という言葉で思い浮かぶのは、天界で大暴れし、罰として天竺に経典をもらいに行く唐僧に連れ添うことになった孫悟空が操った、伸縮自在の如意棒であろう。当然、これは神話の中での話に過ぎない。

今回は、この「如意」について取り上げてみたい。

「如意」には二つの由来がある。その一つは背中を掻くのに使う俗称「孫の手」である。

初期の「如意」は柄の先が指の形をしていて、手の届かないところを思い通りに掻くことができることから、「不求人」と呼ばれた。清代の『事物異名録』には「『如意』とは、人の手指爪を模した棒」とあり、古代には「搔杖」、「笏(朝笏、手板=大臣が持つ細長い板)」の記載もあり、二通りの意味があった。

もう一つは、古代において文官が宮中に参内する際に身に着けた防具である。武将は常に兵器を携えていたが、文官は銅、鉄、硬い木材でできた防具を思い思いに優雅に装った。「如意」は「孫の手」と「防具」を意味していた。

その後、社会形態の変化に伴って、「如意」は吉祥の意味をもつようになった。「如意」を手にした菩薩像を目にすることがあるだろう。われわれが今日認識している「如意」はこれである。

明・清朝の時代になると、吉祥を表す「如意」は、宮廷の珍宝とされただけでなく、高貴な人への返礼や長寿を祝う進物とされた。

雲紋、霊芝、寿の文字、八吉祥等の模様が施され、白玉、翡翠、金銅(銅や青銅に金メッキをしたもの)、珊瑚、象牙等で作られた「如意」は、いかにも豪華かつ華麗であった。

清代においては、この豪華な珍宝が官界での一番の賄賂とされた。

筆者が手にしている「如意」には、ちょっとした物語がある。

2016年6月、サザビーズ香港が玉の工芸品と磁器を中心としたオークションを開催した。オークション品の価格が手頃なことから、古参のコレクターの間では、「掘り出し物に出会える場」と呼ばれていた。

筆者は、出展予定の多くのオークション品の中に、翡翠や宝石が散りばめられた金銅製の「如意」を見つけ、長年の経験から、清・宮廷造弁処による調度品と判断し、掘り出し物に出会えたかもしれないと心ひそかに喜んだのであった。

オークションの開催時間が、ちょうど香港から上海への帰途であったため、人を頼み、電話で情況を把握したのだが、それまでのオークション品が低価格で落札されていたため、ライバルは少ないのではないかと心中ひそかに喜んだ。「如意」のオークションは安値でスタートしたが、5万、8万、10万、15万、20万、25万、30万と進み、競り負けないようにと電話で指示し、数十万でやっと落札できた。予算はオーバーしてしまったが、願いは成就した。

上海に戻った翌日、コレクター仲間である包さんを訪ね、お茶をご馳走になった。前日のオークションの話題になると、包さんは「昨日のオークションには、宮廷造弁処の『如意』が出品されていて、掘り出し物だと思って最後まで粘ったんだが、他の誰かに落札されてしまったよ」と語った。

実情を知った二人は「傑出した人物の考えは大体同じで、友人たるものの趣味は一致するものだ」と笑い合った。

何はともあれ、雨降って地固まるであった。金額は嵩んだが、掘り出し物を手にし、二人して鑑賞できる。二重の喜びではないか。