仲田 恭久 株式会社東亜酒造代表取締役社長
新旧融合の味わいで中国市場に進出したい

清酒づくりで400年の歴史をもつ東亜酒造は、20年ぶりにウイスキーの自社蒸溜に挑むべく、羽生蒸溜所を再建し復活させた。かつて、『地ウイスキー東の雄』と呼ばれた同社による今回のプロジェクトのコンセプトは「復活」であり、再始動したウイスキー事業に、往年のファンや地域から大きな期待が寄せられている。先ごろ、同社羽生蒸溜所を訪ね、仲田恭久代表取締役社長にウイスキー事業復活の経緯と今後の展望、中国市場進出などについて伺った。

モルトウイスキーの自社蒸溜を再開

―― 2021年2月、20年ぶりに羽生蒸溜所が竣工し、ウイスキー造りが復活しました。長い酒造りの歴史の中で、一度はウイスキー蒸溜から撤退したわけですが、復活に至った背景と経緯について教えてください。

仲田 当社は、1625年(寛永2年)に埼玉県・秩父の地で酒造りをはじめ、1941年に埼玉県・羽生市に本社を移しました。当社のウイスキー事業は1946年からで、当初は、イギリスから輸入したモルト原酒をブレンド・樽貯蔵して販売していましたが、1980年に蒸溜所を建設し、自製モルトウイスキーの蒸溜に取り組んでいました。

その頃、ウイスキーブームが起こるのですが、その後焼酎ブームが沸き起こり、ウイスキー市場の縮小の波を受け、2000年にウイスキーの自社蒸溜を止め、蒸溜所としての機能を停止しました。

しかし、いつかは復活させたいという思いを胸に、2004年に日の出ホールディングス株式会社のグループに入り、ウイスキー造りに再び取り組み始めました。そして、2016年から、輸入モルト原酒のブレンド・樽貯蔵から再開し、自製モルトウイスキーの蒸溜再開に社員一同懸命に取り組む中で、2021年2月、ようやく20年ぶりに悲願であった羽生蒸溜所を再建し、竣工することができたのです。

世界市場ではウイスキーの安定した需要が見込める

―― ジャパニーズウイスキーは現在、世界で高い評価を得ています。

仲田 ウイスキーに限らず、日本の製品は、メイド・イン・ジャパンとして世界的に認められてきました。

近年では、1980年代に地ウイスキーブームが到来し、それぞれの地域で造られた特色あるウイスキーが一世風靡しました。

2013年12月に日本食(和食;日本人の伝統的な食文化)がユネスコ無形文化遺産に登録されたことで、日本酒も高い評価をいただき、その他、日本産酒類ということで、日本で造ったウイスキーもジャパニーズウイスキーと呼ばれて、世界的に高い評価をいただいています。

当社がウイスキー事業を復活させることができたのも、こうした世界的に評価をいただいている市場だということが大きな後押しになっています。今後、日本の市場ではウイスキーブームが去っていく可能性があるかもしれませんが、世界の市場では、まだまだ安定した需要が見込めると思っています。

往年のファンと地域に支えられ再始動

―― 2021年4月、クラウドファンディングでウイスキー造りの復活プロジェクトを立ち上げ、資金を調達されました。クラウドファンディングを活用した理由と成功した要因をどのように考えていますか。

 仲田 クラウドファンディングを始めたきっかけは、当社のウイスキー事業を復活させ、蒸溜所をつくったということをPRし、良質のウイスキーを大勢の方に味わっていただきたい、という思いからでした。

ウイスキーというのは、蒸溜してから最低3年、長いもので5年、10年と貯蔵して熟成させないと、商品としてお客様に提供することができません。当然、商品が世に出れば認知度も上がりますが、事業を復活させても品物がなかったら、お客様に認知していただくすべがありません。そこで、羽生蒸溜所が復活したことを広めていくための手法として、クラウドファンディングを活用することに至りました。

さて、応援いただいた方へのリターンをどうするか悩みました。先ほど申し上げましたが、ウイスキーは熟成を経て、完成されたものとなります。そこで、まずは蒸溜したての熟成していない、樽に入れる前のニューポットと呼ばれる樽詰め前のウイスキーの原液をリターン商品として皆様にお届けしたい、というプロジェクトを計画しました。

これには1400人を超える多くの方々にご支援・応援をいただきました。その中には中国の方もいらっしゃいます。羽生蒸溜所の復活に際して、往年のファンをはじめ地元地域の方々からも多くの応援コメントをいただくなど、インターネットを通じて、当社の思いを広く伝えることができ、大成功で終わったという実感があります。

「復活」プロジェクトで新しい味わいを創造

―― ウイスキーを造る魅力は何ですか。

仲田 今回のウイスキー事業の基本的なコンセプトは「復活」です。2000年までにやっていたことを、同じ場所で、同じ設備を使って、当時の従業員が携わる。製造に関する昔の記録もいろいろと残っていたので、それもひもときながら復活させる。そして以前、羽生蒸溜所で造った原酒の味に近づける、というのが復活プロジェクトのコンセプトでした。

今はまだ、必死で、もがきながら造っているというのが実情です。答えはまだ出ていません。3年、5年、10年経たないと結果は出ないので、いろいろ手探りでやっています。

現在、日本各地に新しい蒸溜所がたくさん建設されていますが、地元産の麦芽を使うとか、地元の木材を使った樽で造るとか、それぞれコンセプトをお持ちだと思います。

そうした中で、当社は「復活」なのです。往年の製造方法を踏襲しながらやっていく中で、新生・羽生蒸溜所としての新しい味わいを造り上げ、新旧融合みたいなものができれば面白いと考えています。

とても大きな市場の中国に進出したい

―― 現在、中国では富裕層を中心に、日本のウイスキー人気が高まっています。そのため愛好家は大きな関心を寄せています。中国のウイスキー市場をどのように見ていますか。

仲田 中国の市場はとても大きな市場ですので、参入したいという思いはずっと持っています。

中国の愛好家それから海外販売代理店など、ほぼ毎日のように問い合わせのメールが来ています。当社のお客様相談室や、オンラインショップを通してくる場合が多いのですが、時には直接電話がかかってきたりもします。

ただ、ご存じのように、まだ中国には一切輸出できないので、一日も早く制限を解除してほしいと思います。中国はまだ、われわれ埼玉県を含む10都県について、加工食品の輸入は規制されているので、それを解除していただければ、非常に大きな市場になると思います。

当社は2016年から「武州」と「武蔵」というブランドのウイスキーを造っているのですが、これまで販売数が一番多かったのは、羽田空港や成田空港、関西国際空港などの免税店です。

免税店の方に尋ねると、やはり中国人観光客の購入率が非常に高いという話でした。それが、コロナ禍で訪日観光客がまったく来なくなったわけですから、一日も早い中国政府の規制解除を切に願っています。

新旧融合で新たな挑戦

―― 日本では、「地酒」「地ビール」と同様に「地ウイスキー」がブームです。かつて御社は「地ウイスキー東の雄」と呼ばれていましたが、今後の社長の夢は何ですか。

仲田 当然、「東の雄」と呼ばれていたときのウイスキーブランド、「GOLDEN HORSE(ゴールデンホース)」が復活する、羽生蒸溜所が復活することで、もう一度当時のような脚光を浴びることになるかもしれませんが、「羽生蒸溜所がまた新しい味わいのウイスキーを造ったぞ」と言われるのが、今一番の楽しみです。

先ほども申し上げましたが、他の蒸溜所では、昔からあるところは昔のままの味で、新しく始めたところは新しい味で勝負すると思います。当社はその両方を兼ね備えています。昔ながらの製造方法もきちんと残っていますし、新しいことにも挑戦しています。まさに新旧融合です。

これが当社の強みだと考えていますので、羽生蒸溜所の再建・竣工を新たな門出と位置付け、日本はもちろんですが、中国をはじめ、海外にも視野を広げ、どんどん挑戦していきたいと思います。