中国は日本の長所に目を向ける器をもっているか

東京羽田空港3階の出発ロビーに向かうエスカレーターの真ん中あたりで振り返ると、運転手がまだドアの所に立って、私にお辞儀をしているのが見えた。彼は遼寧省大連市出身で、日本で20年近く暮らしている。中国人におじぎをされたのはこれが初めてで、少し戸惑いもあったが、日本の良いサービスやマナーに感化されていて感動も覚えた。

日本に数日滞在している間に経験したことは、経済発展だけでなく、社会の発展の全ての面において、中国と日本の差は依然として大きいことを証明していた。中国に何が足りないのかを冷静に判断し、ライバルである日本の長所を発見することは、シンクタンクの学者としての知恵と責任を試されていると感じた。

2014年、日本を訪問した中国人観光客は前年比82%増の220万人、15年にはその2倍以上の500万人に達した。15年に日本を訪問した外国人観光客のうち、25%が中国人観光客だった。しかし、その観光支出は全体の半分近くを占め、中国人観光客の3分の1が「リピーター」だ。さらに、日本に行った中国人観光客のほとんどが帰国後、「日本はいい。好印象だったし、物も高くない」と口を揃えて語る。

日本は中小国家だが大国の「心」を持つ

日本は中小国家であるにもかかわらず、かつては世界2位の経済体で、その経済や技術は今なお世界トップクラスで、いまだアジアを牽引している点に目を向けると、中国人は日本人に対して敬意を示す度量の大きさがなければならない。日本が歴史を歪曲していることへの憎しみがあったり、外交に二面性があることを批判したりしていても、その種の敬意を持つこととは矛盾しない。

日本の国土は約37.8万平方キロメートルで、中国の約25分の1。そのうち農業や居住に適しているのは5分の1以下で、山が多い。それでも、日本は1億人以上の人口を抱えている。

しかし不思議なことに、東京や大阪、京都などの街では香港のようにごちゃごちゃしていると感じることはない。ある日本の友人は、「日本の都市の地下は掘りつくされている。複数階ある地下もあり、地下鉄に乗って、地下のスーパーで買い物し、ビルの間を少し行き来すれば、全く問題なく普段の生活や仕事ができる」と話していた。

中国国内をみてみると北京地下鉄では、乗り換えをする時、一度地上に出て、また地下に入らなければならない箇所もあり、その設計を批判する声も多い。一方、日本人は都市空間を合理的に利用している点において優れていることは間違いなく明らかだ。

日本の細やかさが極限にまで達している点に、多くの中国人はそれに温かい感情さえ抱く。中国のある有名な雑誌は最近、「日本風物記」と題する特集を掲載し、数十ページを使って、「中国では『大きい』ことが『美』とされ、大きな山、大きな川、スケールの大きさ、大々的なハッピーエンドなどを好む。一方、日本では『小さい』ことが『美』とされ、小さな山、小さな花、小顔、小鳥、小さな幸せが好まれる」ことを説明した。

「このような『小さな』美は、中国人の心を打ち、日本に完全に魅了されてしまうこともある」。小説家・東野圭吾の大ファンである友人は、「日本の作家の描く世界には血や骨の髄に至るまで細かさが行き届いており、確かに『小さな幸せ』を感じさせてくれる」と話していた。日本の都市や村のどこに行っても、日本人は隅々までうまくスペースを利用していると、私や同行の先輩、友人らは何度も驚嘆していた。

中国人があまり目を向けていない日本の2つの長所

技術革新や社会文明のほか、中国が日本から学ぶべきことがあと2点あると思う。しかしそれは、あまり目を向けられていない点だ。

まず、「保守・服従」を重視する日本の大衆心理はどのように形成されたのだろうかという点だ。大多数の日本人は、秩序を守ろうとする意識や世間のやり方に従おうとする傾向を持っている。そして、日本人は通常権威を尊重するため、このような大衆心理の下、均質な社会構造が形成されている。

1970年代、日本では、中流階級に属していると考えている世帯が90%に達した。これがいわゆる「一億総中流」の意識だ。もちろん、それから20年後、その割合は40%に低下したが、20世紀に日本が長期にわたって進めた民権主義の経済政策や社会発展の過程は、「中所得国の罠」を避けるべく、転換期を迎えている中国が参考にすべき重要な意義を持っている。

もう一つは中国人が日本の「一党優位政党制」の秘訣を正しく研究することも大きな意義がある。第二次世界大戦後、日本の自民党は、単独で、または連合で政権を掌握し続けて既に60~70年になる。これも、世界各国の現代政治史上における快挙だ。これは、権力開放と競争的選挙という条件の下、選挙戦での勝利を一度、また一度と積み重ねた成果だ。

長期にわたって自民党一党優位が保たれた背後に、非難されるべき政・官・財の癒着構造「鉄のトライアングル」があったとしても、また、金権政治や派閥抗争があるとしても、この特殊な体制により、日本は国際資源と高い国政運営の能力を備えるようになったということを、中国人は認めざるを得ない。

特に1960年代、池田勇人首相が打ち出した「国民所得倍増計画」により、日本は戦後の経済発展における「黄金時代」を迎えた。当時、日本は19年連続で経済成長率が2ケタを超える奇跡を実現し、1960年にはその経済成長率は21.4%増の記録を達成し、さらには社会政策の礎を固め、社会の調和や長期的な安定を保ち続けた。

日本人はいったいなぜ、融通がきき、巧みで、新進の日本を急速に台頭させ、第二次世界大戦後に民族の第二次復興を実現させたのか、中国人はよく考える必要がある。政治的な意味における理論の革新という分野や金融の方法論における資源配置という分野において、中国が日本から引き続き学ぶことは、対日闘争ゲームと同じほど重要である。