貴重な微生物発酵茶

さて、いよいよ微生物発酵茶の話だが、この種の発酵茶は希に地球上に点在してきたが、今日ではさらに数が少なくなり貴重なものとなっている。代表的なものは中国に伝わる黒茶で緑茶に麹菌(Aspergillus) やクモノスカビ(Rhizopus) といった糸状菌を繁殖させたもので、黒褐色や茶褐色をしている。

雲南省特産の普洱茶や広西チュワン族自治区の六堡茶が代表である。発酵の際に糸状菌の生産した酵素が、体内の脂肪分を分解し老廃物を一掃するという、いわゆる「やせる茶」として、一時話題になったことのある茶である。緑茶を蒸してから圧搾して煉瓦のように硬くし、それを貯蔵している間に糸状菌が繁殖して発酵茶となるのである。

発酵が終わり、再び熟成していくに従い価値も高まるというので、青海省あたりに行くと何と十年も前のものだという、カッチンコッチンで真っ黒い茶を飲ませてくれたりする。とにかくこれらの茶は、中国の雲南省から四川省に入り、さらに北に上って映西省から内モンゴル、モンゴル、そしてチベット、ウイグルに至る広い地域で飲まれている。

つまり遊牧民にも愛飲されているお茶で、長期の保存が効く茶というわけである。チベットに行った時、遊牧民はこの茶を煮出して、それにバターと塩を入れてご馳走してくれたし、またモンゴルではこの茶に馬乳や牛乳を入れて飲ませてくれた。

さて、そのような本格的な微生物発酵茶は発酵王国日本にはあるのだろうか。実は高知県に「碁石茶」というのがあって、これが現存するわが国唯一の微生物発酵茶である。高知県長岡郡大豊町の特産で、発酵法を取り入れた古風な製造技術を持っている。この面白い名前は発酵を終えた茶の葉を臼に入れて掲き、それを手で団子状に固める時、その形が碁石に似てくることからきたといわれている。

現地で長い間、碁石茶を造ってきた古老によると、発酵工程を終えた茶葉をメフリと呼ぶ竹製の籠に入れてゆすって寝かせているうちに、角がとれて碁石状になるということだ。その製法は、自生の山茶の葉を茶籠(蒸籠)に入れ、二時間ほど蒸す。蒸し上がったら小枝を取り除き、葉だけを蓆に広げて四十~六十cmの厚みに積み、さらにその上にも蓆をかぶせて五~七日間「前発酵」させると、カビが一面に出る。

次に茶を漬け込む桶にこの茶を移し、蒸し釜にたまった茶汁を上から適当に掛けながら、茶の葉を足で踏み込み、さらに重石をのせて約十日間寝かせながら「本発酵」を行う。

本発酵が終了した葉を茶切り包丁でさらに小さく刻み、再び漬け桶に入れて足で踏み固め、二、三日間「後発酵」させたものをメフリに入れて時々ゆすって寝かせた後、蓆に広げて直射日光でしわく乾かし、製品とする。その需要は昔、地元よりも、隣の香川県塩飽諸島(瀬戸内海)の茶粥用の茶として有名になったとのことだ。これは、島の水は塩分を多く含んでいるため、この薄い塩辛さと碁石茶の酸味と渋い味、そして発酵茶特有の匂いが島民の食性にピッタリ合ったからだといわれてきた。‘

この茶の発酵は、前発酵がカビ類、本発酵が乳酸菌や酪酸菌のような細菌、後発酵がそれらの微生物が分泌した酵素の熟成作用によって進められていくが、いずれにせよ茶を造るのに三段階に分けて発酵を行わせる製法には、まったく興味の尽きないものがある。

このような微生物発酵茶は高知県のほかに富山県や岐阜県などにもあったが、今は醸されなくなったといわれ、誠に残念なことである。

「朝茶はその日の難逃れ」と昔から言われるように、茶は体にとっては優しい飲み物である。モンゴルに行った時、微生物発酵茶を馬乳に混ぜて飲ませてくれたモンゴルの古老は「茶一日無くば則ち病む」と茶の効用を紙に書いてくれた。(『発酵食品礼讃』、株式会社文藝春秋、1999年(文春新書)より抜粋) (著者は農業大学教授)