曜変天目と油滴天目――日本の国宝として輝く宋代の磁器

今、中国・宋代の建窯からもたらされた磁器が、日本の国宝として輝きを放っている。伝世の天目建盞4点――曜変天目3点と油滴天目1点が、博物館や寺院の宝物庫に静かに収蔵され、千年を経た今も燦然と煌めく。それらは単なる茶器ではない。天と地が釉薬の上に刻んだ神秘の痕跡であり、宋代の中国工芸の極致と東アジア文化交流の深淵さを物語っている。

宋代の建盞――火と土の奇跡

宋代は文人・士大夫の精神世界が頂点に達した時代であった。建窯(現、福建省建陽区にあった名窯)の陶工たちは松の木を薪に窯を焚き、黒釉茶盞を焼き上げた。その黒はただの漆黒ではなく、宇宙を思わせるような深い漆黒である。その上に偶然現れた模様は、満天の星々のようであり、流れる銀河のようでもある。茶文化の隆盛、特に闘茶の流行により、建盞は士大夫の必需品となった。徽宗は『大観茶論』で「盞の色は青黒を貴び、玉毫条達する者を上と為す」と述べ、建盞の美を頂点に押し上げた。

曜変――暗夜に煌めく銀河

曜変天目は建盞工芸の極致であり、陶磁史における奇跡とされる。その美しさは再現不能である。黒釉の上に流れ星のような光斑が現れ、青や紫がかすかな彩暈を帯びる。釉薬の中に斑点が現れたり消えたりする様は、深淵から立ち上るようでもあり、星空が落ちてきたかのようでもある。後世の人びとは、光彩が揺らめくように変化する黒曜石になぞらえて「曜変」と呼んだ。

現存する曜変天目はわずか数点とされ、そのすべてが日本に存在する。3点はそれぞれ静嘉堂文庫美術館、大徳寺龍光院、藤田美術館に所蔵され、日本の茶文化・コレクション史の天空に輝く星のようである。

1、静嘉堂文庫美術館の曜変天目。中央には青い星雲のような光斑があり、周囲に紫の光輪が浮かぶ。その美しさは星空に身を置いているかのようで、展示会のたびに多くの茶人や学者を魅了する。

2、龍光院の曜変天目。龍光院は京都の大徳寺の小院である。収蔵品は多くはないものの、至宝・曜変天目を有する。戦国大名が供養として奉納したと伝えられる。光斑が均等に散りばめられ、黒釉と斑点の調和が絶妙で、曜変天目の中でも極上品とされる。

3、藤田美術館の曜変天目。明治期の大阪の実業家・藤田家が収集し、かつては一族のみで鑑賞した。中央には青紫の光斑が花火のように広がり、とりわけ灯下で輝きが際立つ。現在は藤田美術館の至宝として公開されており、開館日には長蛇の列ができる。

三つの曜変天目はそれぞれ趣を異にするが、いずれも再現不能な建窯工芸の神秘性を証明している。宋代以来、多くの陶工がその再現を試みたが、完全に甦らせることはできなかった。曜変天目は「東洋陶磁の至宝」と讃えられ、奇跡のごとくにこの世に残されたのである。

油滴天目――夜空の流星

曜変天目に比べて油滴天目は手になじみやすく、その美しさは曜変天目に比肩する。黒の釉薬に現れた大小さまざまな銀の斑点は、まるで夜空を流れる星々のようである。大阪市立東洋陶磁美術館に所蔵される国宝・油滴天目の斑釉は丸みを帯び、まるで銀河を映しているかのようである。茶湯を注ぐと銀色の斑紋と水面が交わり、光が流れているかのようである。曜変天目ほどの稀少性や神秘性はないものの、油滴天目には風格と落ち着きがあり、日本の茶道界でも長く尊ばれ、戦国大名や江戸の茶人は油滴天目を持つことを名誉とした。

国宝の漂流と帰結

惜しむべきは、これら4点の建盞は福建に留まることなく、日本に渡り日本の国宝となったことである。南宋時代以降、中日間で僧侶の往来が盛んになり、建盞は仏具や茶器として日本に渡った。鎌倉時代から室町時代にかけて茶道が盛んになると、建盞の価値は高まり、曜変天目と油滴天目の不可思議とも言える輝きを日本人は「天下無双」と珍重した。

一方、中国本土では打ち続く戦禍によって伝承が絶え、曜変天目はほぼ姿を消した。近代になって、中国の学者たちによって日本で発見されたのである。宋の時代、茶席で日常的に使われていた茶器が、今日、稀世の宝物として輝きを放っている。

茶器と文化の相互検証

日本が曜変天目と油滴天目を国宝に指定したのは、磁器の美しさだけが理由ではない。背景に中日文化交流の歴史がある。日本の茶道は中国・宋代の喫茶文化とは異なる道を歩んできたが、そこには常に黒釉茶盞の存在があった。

茶人たちは茶を淹れるとき、曜変天目で茶湯の色を愉しみ、油滴天目で茶の泡を鑑賞した。茶と茶器を愉しむことは美的体験であるとともに精神修養でもある。建盞は物質の域を超え、文化の記憶となり精神の象徴となった。

余響――永遠の星の如く

日本の美術館に足を踏み入れ、ガラスケースの前に静かに佇むと、曜変天目の斑紋は宇宙に瞬く星々のようであり、油滴天目の銀の斑紋は流れる銀河のようである。あたかも時空が交錯したかのような感覚を覚え、千年前の陶工たちの技巧に驚かされる。

これらの建盞は、東アジア文明の夜空を彩る4つの星のようである。それは特定の国家の所有物ではなく、人類共有の美の遺産である。その輝きは早くから国境を超えて、東京の、京都の、あるいは中国の茶人たちの心の奥底の声なき詩になっている。