節句を祝って人びとが集い、隣人と親しく交わり友好を深める。名古屋中国春節祭は、中部地域の華僑華人コミュニティと中国駐名古屋総領事館が共催する中国の春節を祝う一大イベントである。パフォーマンス、グルメ、民間芸術、観光、物産、交流が一体となった名古屋中国春節祭は20周年の佳節を迎える。
「文明の相互尊重と調和」。3日間にわたって開催される文化の盛宴は、豪華絢爛な多文化共生の祭典として、早くから中部地域のみならず全国に広く知られる。この特別な「成人式」を成功させるため、陳秋揚実行委員長率いる名古屋中国春節祭実行委員会は、その半年前から入念な準備を進めている。多忙の中、実行委員長を務める陳秋揚氏が我々の取材に応じ、名古屋中国春節祭の背景にある、感動的な継承と献身の物語を語ってくれた。
郷愁から大道へ、
進化する中華文化博覧会
龍や獅子の勇壮な舞い、珍奇で神秘的な雑技や変面。太極拳やヤンコ踊りが心身を和ませ、書画や民俗芸術を個性豊かに披露する。地方の美食が食欲をそそり、中国の物産が所狭しと並び、各ブースは活気に満ち、パフォーマンス、グルメ、民間芸術、観光、物産、交流が一体となった名古屋中国春節祭は、中華文化博覧会さながらである。
日本の歴史において、水上交通の要衝であり、文化の中心であった名古屋は、近代以降は日本の製造業を支え、世界中から優秀な人材を引き寄せてきた。かつてピンポン外交が展開された地でもある。現在、4万人を超える華僑華人がこの地に根を張り、融和互恵の精神で新たな日中友好の民間交流史を綴っている。陳秋揚氏の脳裏には、そんな華僑たちの感動的な物語がいくつもよみがえり、話題は自ずと自らが心血を注ぐ名古屋中国春節祭に及んだ。
在外華僑のイメージは、祖国の急速な発展とともに変化している。中部地域の華僑社会はその発展に伴い、文化交流活動にも、さらなる制度化、国際化が求められるようになった。2007年、現地の華僑華人と中国人留学生が、設立間もない中国駐名古屋総領事館の指導の下、自発的に春節を祝うイベントを立ち上げた。それが名古屋中国春節祭の源流である。以来、地方自治体が多文化共生社会を構築するための重要な取り組みとして急速に発展し、自治体、企業、大学などとの連携を深めてきた。そして、2012年、日中国交正常化40周年を機に、実行委員会を発足させた。2015年以降は、外国人住民の増加に伴い、春節祭の開催意義は「中国文化の紹介」から「地域共生」へと昇華されていった。
『日中平和友好条約』締結40周年に開催された第12回名古屋中国春節祭は、規模も内容も格段に充実し、久屋広場とエンゼル広場の2会場で開催され、名古屋公会堂では特別公演も行われた。名古屋市国際交流課の支援を得た第15回春節祭は、ブースも国際色豊かになり、多言語ボランティアが導入され、多文化共生と地域繁栄の理念を具現化した。
名古屋中国春節祭は中国文化の魅力を発信し、日中民間交流を促進し、地域の多文化共生を推進し、日本社会に中国の真の姿を伝えながら、個人の郷愁を民族の自覚へと昇華させ、和合共生という理想に集約させたのである。千年以上にわたる日中交流の歴史は、弛まぬ努力、そして先人たちの遠見卓識と献身によって築かれてきた。かつてのピンポン外交の如く、名古屋中国春節祭のブランド価値と社会的影響力もまた、中部地域の華僑社会の結束力と奉仕精神の証しなのである。
持続可能な発展へ
春節祭が地域社会の成長エンジンに
錦秋の10月、陳秋揚氏の動きは慌ただしくなった。東海日中貿易センターなど団体・企業を訪問して日本側の支援を求め、相互理解を進めている。これらは雑多な準備作業の一部にすぎない。
第1回の名古屋中国春節祭から、愛知県知事は毎年のように会場を訪れ声援を送ってきた。名古屋商工会議所、中部経済連合会等の経済団体も積極的に参画し、トヨタ自動車をはじめとする中部のベンチマーク企業が引き続き「熱心な支援者」となり、中部地域の国際化を力強く後押ししている。トヨタ自動車は、社内の多国籍技術者の文化交流を促進するため、社員をボランティアとして派遣している。名古屋中国春節祭は、中部地域の多文化共生のモデルとして、当地の魅力ある文化・観光資源としての重要な役割も果たしている。
「天下の明月の夜の美しさは、実に三分の二は揚州が占めている」と詠じられた、豊かな水郷の地に生まれた陳秋揚氏は、挑戦の気概に満ちて日本に渡った。愛知で、淮揚料理を学ぶことから始め、調理師、料理長、レストランオーナーとして経験を積み、日本の調理師専門学校に中華料理の特任講師として招聘された。その卓越した技術と豊富な知識によって、中華料理と中国の食文化に精通する多くの日本人の学生を育て、中部地域に、氏ならではの足跡を残した。名古屋中国春節祭を陰で支える華僑コミュニティの中には、彼のように日常の仕事に従事しながら、中国の物語を綴る人びとは数え切れない。
春節の起源は、3400年以上前の殷の時代にまで遡る。春節は農耕文明の中で育まれ、祖先を祀り福を祈り、古きものに別れを告げ、新しいものを迎えるという美しい願いを伝えている。中国人はタンポポのように五大陸へ飛び立ち、春節の文化を広めてきた。春節祭は、彼らが祖国に思いを馳せながら、海外の友人をもてなす温かな家族の宴である。2024年、中国の春節はユネスコ無形文化遺産に登録された。春節が世界で認知されるようになった背景には、名古屋中国春節祭実行委員会のように、文化の継承に尽力してきた華僑華人の不断の努力がある。
革新と継承――春節祭が紡ぐ文化の系譜と情熱
2025年の第19回名古屋中国春節祭は17万人を超える動員数を記録し、2026年も新たな伝説を生み出そうとしている。名古屋市の人口が223万人であることを考えれば、この来場者数には、これまで日中両国が育んできた相互信頼と、友好への歩みが表れている。
第19回春節祭では、遠路はるばる参加した重慶の「両江芸術団」、新疆ウイグル自治区の「カシュガル歌舞劇団」が、民族色と地域色豊かなステージを披露した。彼らが、歌い、踊り、笑顔輝く姿は幸福と誇りに満ち、「中国の物語」を最も生き生きと表現していた。華やかなステージの裏には、春節祭実行委員会の確固たる信念に裏打ちされた不断の努力があった。国際情勢が変化する中、渉外や招聘、ビザ発給や受け入れ準備など多方面の調整が必要となる。そうした苦労は、身をもって奔走してきた実行委員会にしか分からない。
氏は、公益活動には、揺るぎない情熱、不断の努力、計り知れないエネルギーと資金が必要であると語る。陳氏は飲食業で身を立て、人材派遣で事業を拡大した。日本の景気低迷期には、並外れた勇気で、比較的早い時期に日本の不動産に投資した華僑の一人である。ある程度の富を蓄えると、氏は徐々にビジネスの世界から身を引き、華僑団体活動や公益活動に全力を傾注した。
陳秋揚氏は1980年代末に来日してより、これまで支えてくれた中日の友人への感謝を忘れることはない。氏は力をつけて、相互理解と信頼に基づいた中日両国人民の文化交流の促進に貢献したいと考えている。来日して36年、中国国籍のまま、揚州市帰国華僑連合会海外顧問を務め、故郷の対外連絡や広報活動に尽力している。
文化の松明は世代を越えて受け継がれる。これまで名古屋中国春節祭は中国駐名古屋総領事館の支援の下、国内外の中国人と世界各地の友人の心を結び、地域の平和と発展に独自の貢献を果たしてきた。最も心を打たれたのは、インタビューの中で、氏が語った次の言葉である「名古屋中国春節祭の今日の発展があるのは、決してそのときどきの実行委員や少数の人びとの力によるものではなく、代々の実行委員がバトンを繋ぎ、知恵を出し力を合わせて前進してきた結果である。『団結・協力・発展』の理念が、実行委員一人ひとりの胸に深く刻まれている。『実行委員長』の肩書は権力とは無関係であり、そこには責任と奉仕しかないのです」。
そこには、このイベントを支えてきた人々の情熱と誇りがにじんでいた。
取材後記
今年は、中国駐名古屋総領事館の開設20周年(2007年に総領事館へ昇格)の節目の年にあたる。20年前、中部に住む華僑華人は、ようやく自分たちの「拠り所」を得た。その後まもなくして、中部の華僑コミュニティが集う団らんの場――名古屋中国春節祭が誕生した。
2016年1月9日から12日、名古屋で活気あふれる春節を体験してみてはどうだろう。一致団結し、活力漲る中部の華僑コミュニティが、きっとこれまでにない文化の饗宴を届けてくれるに違いない!
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