「未来志向」を求めて(7)
過去と未来が同居する:国連創設と台湾返還80周年にあたって

なぜ日本社会では、これほど「未来志向」が強調されるのだろうか。

石破茂首相は9月23日の国連総会演説で、アジア諸国との「未来志向の関係を更に進める」と述べ、「その思いを各国首脳と共有」してきたと訴えた(写真1)。被侵略国はこの戦後80年間ずっと、二度と侵略や植民地化を許さない“未来”のために歩んできたのではないか。各国が懸念しているのは、日本が未来志向なのかどうかではない。閣僚や国会議員が靖国神社を参拝し、平和憲法を蔑ろにして軍備拡張に走る日本の“過去志向”である。

写真1:国連総会での石破首相演説(首相官邸インスタグラムより)

その石破首相がこだわりを見せる戦後80周年談話は過去にどう照準し、現在そして未来との繋がりをいかに提示するだろうか。「身内」である自民党内からは、談話発出を牽制する動きが相次いでいる。安倍晋三元首相による「未来志向」の戦後70周年談話が存在するからだという。彼らも安倍元首相も、そして石破首相も、靖国神社に祀られたA級戦犯を「侵略戦争遂行の有責者」としてではなく、「国家のために尽くした英霊」として拝礼し、供え物を奉じてきた。彼らが描く未来とは、「過去」の再現のように見える。

政治家だけではない。民衆、民間のレベルでも「未来志向」が好まれる。過去の「暗い話」には誰も目を向けたくないが、明るく楽しい未来についてなら、立場を越えて興味を持てるという。ここでも、過去は決別し克服する対象ではなく、できるだけ触れずに済ませたいものとされている。

戦後80周年のこの10月は、二つの節目を迎える。10月24日の国連創設、同25日の台湾返還――どちらも侵略戦争に苦しめられた過去から、平和と共生の未来へと転換する分水嶺として捉えられていた。80年後の現在の状況を想像できた人はいるだろうか。

国連(United Nations)は、ファシズム国家による侵略戦争や大規模虐殺を二度と繰りかえさせず、国際社会の平和と安定を実現するために創設された。主導したのはファシズム戦争を克服した連合国(United Nations)、とりわけアメリカが中心で、準備はドイツや日本が敗戦する前から進められていた。ところが、創設間もない頃から、社会主義の拡がりを阻止するためソ連への抑圧が始まり、中国で共産党政権が誕生すると共産圏封じ込め政策が強化された。主権平等、武力不行使、内政不干渉という国連憲章の原則をアメリカが自ら裏切っていった。そのアメリカは何をしても制裁を受けない。ベトナム戦争、イラク戦争、アフガン戦争などの明白な侵略、政権転覆を挙げるだけで十分だろう。アメリカは国連システムの外部に、もう一つの「極」を作り出したのである。一般的にはこれを覇権国家という。国連憲章の多国間主義に反するのはいうまでもない。

日本は、この「極」に積極的に加担した。対中国封じ込めには、アメリカ以上に積極的に関与してきた。冷戦終結後も安保再定義を通じて、現在に至る中国敵視を増幅させてきた。アメリカの「核の傘」こそ最大の脅威であるにもかかわらず、ベトナム戦争などアメリカによる侵略の後方支援も続けてきた。国連憲章の理念や原則に反する行動を繰り返してきたアメリカに、つねに随伴してきたのが日本である。

にもかかわらず、石破首相は総会演説で「核兵器のない世界」「法の支配に基づく自由で開かれた国際秩序」を希求すると述べた。戦後日本社会は自身を国連システムを支える「平和勢力」の側にいると錯認している。だからこそ、近年の敵基地先制攻撃拠点の構築が国連憲章違反であるという認識も見られない。国連システムを骨抜きにしてきた米国の覇権主義を支える日本の首相が、国連安保理改革を訴えた自己撞着を国際社会はどう受け止めただろうか。

戦後の日本がファシズム戦争と決別し、未来志向になっているかどうかは、国連憲章をどれほど遵守するかに直結する。アメリカ追従は国連システムの尊重とも、グローバルガバナンスの実現とも正反対である。かつて侵略したアジア諸国が主権を侵害されることなく対等に尊重されるグローバルガバナンスを追求するところに、未来志向がある。

写真2:台湾返還の式典(台湾会館の展示より)

近代日本が最初に獲得した植民地である台湾が中国に返還されたのも80年前である(写真2)。二度と植民地支配をしないと反省し、実践することが、過去との決別=未来志向を意味する。ところが、政治協商会議での正当な手続きを経て政権移行した中華人民共和国を長らく承認せず、内戦に敗れ台湾に逃れた蒋介石政権と1952年に講和条約を結んだ。これが主権侵害、内政干渉にあたり、国連憲章の原則に反するのは明らかだ。1971年に中華人民共和国が国連での代表権を回復した後も、アメリカと一体になって「一つの中国」原則を曖昧化し、大陸と台湾を政治的に分断させてきた。晩年の安倍元首相が煽った「台湾有事は日本有事」はこの延長上にある。大陸と台湾の分断の遠因となったのは、他でもない日本による台湾の植民地支配である。一切の内政干渉を排し、中国の主権を全面的に尊重することが過去との決別であり、未来志向といえる。現在の日本では、決別すべき過去が、逆に「未来」として立ち現れていないか。

戦争被害国の立場からすれば、問題はより明確になる。

甚大な犠牲を払って天皇制ファシズムを追いだしたにもかかわらず、戦後は国連の外部にある覇権によって封じ込められ、苦しんだ。それでも国連システムの持つ普遍性、可能性を最大限に引き出そうとしているのが中国だ。9月1日に上海協力機構天津サミットで提起されたグローバル・ガバナンス・イニシアティブは、国連や国連憲章、国際法を活かそうと繰り返し強調した。国連システムにもっとも翻弄された中国が、それでも国連システムの可能性に賭ける。これほどの未来志向があるだろうか。

石破演説では、1955年のバンドン会議でアジア諸国が日本に対して「寛容さ」を示したと指摘した。それは、被侵略・被植民地化という過去への決別と、自主・独立の達成を共に目指そうという未来志向の表れではなかったのか。靖国参拝に対する厳しい非難も、A級戦犯との決別こそ侵略被害国と日本との間で関係を再構築するための最低条件だからだ。それをこの社会は「脅威」や「反日」だと拒絶してきた。未来志向で差し伸べられてきたその手を、日本はいつ未来志向で握り返せるのだろうか。