アジアの眼〈91〉
アメリカ抽象表現主義の実践者と目撃者
――ナタリー・エドガー Natalie Edgar

8月のニューヨーク滞在中、キュレーターのJuan氏の紹介でナタリー・エドガーを取材した。

ブロードウェイの有名な書店のすぐ近くに立地しているアトリエからは美しい教会とブロードウェイの街並みを一望できる。

photo by Yuzhu

1932年ニューヨーク生まれのナタリー・エドガーは、生粋のニューヨーカーで、どこかウディ・アレンの映画に登場する女優のように、少し皮肉っぽい表情を時折見せるシテイ・ガールの気質を持っている。

彼女は、アメリカ抽象表現主義の画家であり、93歳の今も現役として精力的に制作を続けている。また、平面作品を制作する一方で、ARTnewsの元評論家であり、抽象表現主義の誕生と発展に関する主要な著述家、そして現代美術史家としても知られている。

ブルックリンカレッジとコロンビア大学で美術教育を受けた彼女は、ブルックリンカレッジ在学中、マーク・ロスコの学生であった。また、彼女の夫である著名なアメリカ現代彫刻家のフィリップ・パヴィアや仲間とともに立ち上げたクラブは、ニューヨークの抽象表現主義作家たちの活動の数々を目撃してきた場所でもあった。

エドガーは、「常識破りの女性アーテイスト」として、「重ね塗りされた厚い油絵の具、不規則な筆致、ぶつかり合う色の大胆な組み合わせ」などで知られている。「ダイナミックなストロークと対照的なトーンを用い、色と余白をキャンバス上に並置する」ことが特徴である。彼女のスキルと関心は、ブルックリンカレッジでのマーク・ロスコ、アド・ラインハルト、バーゴイン・デイラー、アルフレッッド・ラッセル、ハリー・ホルツマン、マーテイン・ジェームスらから受けた初期の美術教育と、コロンビア大学での美術史研究に基づいている。

その経歴を基に、彼女はイサム・ノグチ、ノーマン・ブルーム、エステバン・ヴィセンテ、フランツ・クラインなどについて批評文を執筆し、1965年にARTnewsに寄稿した「ロバート・マザーウェルの満足」という作品批評を寄稿した。これらの活動は、抽象表現主義に対する彼女の生涯にわたる理解の基盤となっており、彼女は抽象表現主義について次のように説明している。

「星に近い形はヒトデ、二つの楕円は解剖学を、卵形は卵を、しみは繭を、くしゃくしゃになった紙袋は幾多の人生を辿ってきたことを想起させ、アーチに近い形はさらに曲がろうと、あるいはもっとまっすぐになろうと、力強く伸びようとする。三角形に近い形は切望を示す。それらは、一方の極では理想に到達するために必要な能力を、もう一方の極では抽象的な発明における自由を、それぞれ担っている。馴染みのある形から、それらは劇的なイメージへと変容するのだ」。

Mount Vesuvius Oil on Canvas / 2024-25 / 69”x51” inches アトリエ提供

Last Wave Oil on Canvas / 2024-25 / 46”x32” アトリエ提供

Pompei oil on Canvas/ 2024-25 / 42”x56” アトリエ提供

エドガーは、抽象表現主義の初期の歴史に関する数多くの長編プロジェクトに参加し、執筆活動も行っている。著書『壁のないクラブ』は、8番街クラブにおけるこの運動の誕生と発展を記録したものである。夫で彫刻家のフィリップ・パヴィアとの共同作品『クラブ』も、エモリー大学の研究図書館に所蔵されている。エドガーは、MOMAにおける抽象表現主義運動の起源に関する学術研究の情報提供者としても知られている(抽象表現主義の作家が次々と亡くなっているため、貴重な証言者でもある)。また、現代美術を変えた9人の女性画家を取り上げたメアリー・ガブリエル著『ナインス・ストリート・ウイメン』においてもエドガーは取材協力者として重要な情報源となっている。

photo by Yuzhu

イースト・ハンプトンにある彼女の別荘兼アトリエには、残念ながら訪れることはできなかったが、80年代から定期的にニューヨークのギャラリーで個展やグループ展を開催してきた。イタリア・トスカーナに住んでいた頃には現地のギャラリーや美術館で作品を発表している。70年あまりに及ぶ長いアートの旅は、彼女の作品制作と執筆活動の双方に貫かれており、それらの作品には力強さと脆さ、暖色と寒色、活気と絶望が同じ画面の中に同居し、さまざまな感情が複雑に絡まりあっている。私は、その画面からそれらの感情を読み取り、心を込めて彼女にハグをした。

フリッツ・グラーナー展(1966−1967年)はサンフランシスコ近代美術館を皮切りにフィラデルフィア美術館へと巡回した。その際に、エドガーは展覧会の企画・監修およびカタログの執筆を担当するなど、キュレーションを手がけた。

若き日におけるキュレーションや批評活動から、今日の自作への全力投球へと至るう彼女の歩みは、本当に羨ましい限りである。

photo by Yuzhu

他人のためにさまざまな領域の仕事に取り組み、ある年齢を迎えてからは自分だけのために時間を使う――そのように決めている私にとって、エドガーの生き方はどこかロールモデルに近い。

万博に今年は行けないと思った矢先、大阪万博中国館で開催された友人のイベントに招待され、なんとか滑り込みで一日だけ会場内をぶらついた。見事にどの国のパビリオンにも入場できなかったが、偶然にも中秋の名月にあたる日で、美しいお月様に出会えたのはとても幸運だった。

その夜、大阪のホテルで満月を眺めながら。ニューヨークでナタリーさんを取材した日のことを静かに回想しながら、このコラムを書いた。

次回は、イースト・ハンプトンにある彼女の別荘にアトリエ訪問をしよう。

洪欣

東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。ダブルスクールで文化服装学院デザイン課程の修士号取得。その後パリに留学した経験を持つ。デザイナー兼現代美術家、画廊経営者、作家としてマルチに活躍。アジアを世界に発信する文化人。