中国銘茶探訪(13)
妃子笑

特別な茶樹

「妃子笑」は、福建省南平市武夷山の桐木関保護区で生産される高級紅茶である。この茶は不思議なもので、産地を変えるとうまくいかない。同じ製法を用いても、あの独特のライチの香りは再現できないのだ。それが「妃子笑」の名前の由来である。ライチの香りのする紅茶自体は珍しくない。1960~70年代、広東茶葉貿易公司は「ライチ紅茶」という看板商品を販売していた。紅茶の甘い香りとライチの果実の甘みが相まって、ダージリンすら霞むほどの人気を誇り、今も海外市場で人気がある。ただし、このライチ紅茶のライチの香りは、香料によるもので、茶葉本来のものではない。香りは表面だけに漂い、香りは強いが、茶湯に溶け込むことはない。外国人をだますには十分かもしれないが、わざわざ飲む価値はないだろう。

妃子笑の茶湯

妃子笑の乾茶

しかし、妃子笑はまったく異なる。香料は一切使用されていない、混じり気のない良質の紅茶である。じっくり味わってみると、妃子笑のライチの香りは決して強くはないが、高質なライチ特有の氷砂糖のような甘みは、爽やかで、後を引き、しつこさがない。飲み終えて30分ほど経っても、口の中に甘い余韻が残り、言葉では言い表せない妙味がある。妃子笑の茶湯に漂うライチの香りは人工的なものではなく、「天の時・地の利・人の和」がもたらしたものだ。

まず「天の時」――茶樹の種類からお話しよう。妃子笑には黄観音の茶樹が必要であり、他の品種では代用がきかない。黄観音は、黄金桂と鉄観音の交配種で、紅茶にも烏龍茶にも適している。この黄観音からつくられた茶は、香りが独特である。現在、武夷山の大紅袍をブレンドする際にも、黄観音からつくられた岩茶を混ぜることがあるが、それはこの品種が放つ独特の香りを求めてのことである。しかし、黄観音には茶湯が薄いという弱点がある。そこで、経験豊富な職人は妃子笑をつくる際、桐木関の老叢菜茶を少量混ぜる。ブレンドではあるが、あくまで天然もののブレンドである。こうして仕上げられた妃子笑は、特有のライチの香りを放ち、淹れ重ねても味が落ちない。これは業界の秘密で、一般の人にはそうそう教えない話である。

桐木関の茶農家

世界紅茶発祥の地――武夷山・桐木関

産地と製法

次に「地の利」――産地である桐木関保護区についてである。言い換えれば、妃子笑は名高い「正山小種」と同じく、必ずこの地域で生産されたものでなければならない。先ほど触れた黄観音は、福建省の多くの産地で栽培されているが、妃子笑には桐木関保護区産の黄観音が欠かせない。桐木関保護区は、世界の紅茶の元祖・正山小種及び高級紅茶「金駿眉」の発祥地でもある。この地の水と土壌に育まれた茶樹こそ、最上級の紅茶づくりに最もふさわしい。したがって、高級品である妃子笑は、厳密には「正山妃子笑」と呼ぶべきであろう。

最後に「人の和」について述べよう。これは、武夷の製茶師がもつ独自の製茶技法のことである。妃子笑のライチの香りは、新鮮な茶葉の自然発酵によってのみ得られる。しかし、茶葉をどの程度まで発酵させればライチの香りが現れるのか、その臨界点をつかむのは非常に難しく、感覚に従うしかないのである。ゆえに、製茶師の力量が極めて重要となる。うっかりして発酵が進み過ぎてしまえば、たとえ10%であっても、ライチの香りは完全に消えてしまう。その場合、高級茶としてではなく、並品として売るしかない。ここまで詳しく紹介してきたように、すべての紅茶を「妃子笑」と呼べるわけではない。実に貴重な茶であるため、大事に味わいたいものだ。

桐木関の茶区を訪ねる筆者

茶名の由来

茶樹の品種と製法について述べてきたが、ここで茶名の由来についても触れておこう。この紅茶はライチの香りを帯びていることから「妃子笑」と名づけられたわけだが、そこで一つの疑問が湧く。ライチには「掛緑」「進奉」「桂味」「糯米糍」「淮枝」「水晶球」「鶏嘴荔」「妃子笑」「白糖罌」など、実に多くの品種があるが、なぜ「妃子笑」なのか。それにはライチの特性が関係している。ライチは中国を代表する果物である。市場で、輸入リンゴ、輸入バナナ、輸入マンゴウ、輸入ブドウは見かけても、輸入ライチを見かけることはない。ライチの原産地は中国であり、栽培の歴史は2300年以上に及ぶ。現在、中国のライチ生産量は世界の80%を占めており、中国産のライチが最も美味しいとされている。舌の肥えた外国人は、中国から輸入するほかない。

現在、ライチには200以上の品種があり、産地は北緯18度から29度の間に分布している。中でも広東省の栽培面積が最も大きく、福建と広西がそれに続く。さらに四川、雲南、貴州、海南、台湾などでも少量ながら栽培されている。しかし、産地がどこであろうと、ライチには共通の大きな弱点がある。それは、保存がきかないということだ。この果物は枝から離れるとすぐに味が落ちてしまうことから、古代には「離支」と呼ばれ、時を経て「荔枝」と書かれるようになった。映画『長安のライチ』も、輸送に向かないライチにまつわる物語である。200以上に及ぶ品種の中でも、「妃子笑」は保存にも輸送にも耐え、生食はもちろんのこと、乾燥や加工にも適している。そのため、現在では北方の市場でもよく見かける。いまや中国の人びとにとって、「妃子笑」と「ライチ」はほぼ同義語と言ってよい。だからこそ、この桐木関産の高級紅茶は「糯米糍」でも「白糖罌」でもなく、「妃子笑」と名づけられたのである。

特筆すべきは、妃子笑の製法が本格的に確立されたのは、およそ2020年前であるのに、注目されるようになって4~5年ほどしか経っていないことだ。武夷山の桐木関は、まさに宝の地である。20年前に銘茶「金駿眉」を生み出し、今再び「妃子笑」を世に送り出した。正統を守りながら、革新を成している。実に見事というほかない。