創立から20年以上の歴史をもつ「日本華人教授会」が、創立20周年を記念する文集を編纂中である。私は創立メンバーの一人として、往時の出来事を思い出している。この文集の出版に伴い、20年以上も秘められてきたいくつかの重大な秘密が、初めて公にされる。
2003年2月のある日、東洋学園大学の朱建栄教授が私のところに来て、以前から温めていた構想を話してくれた。「日本の大学で教鞭を執る中国人は少なくないと思う。その中で優秀な人材を集め、アメリカの“百人会”のような団体を作りたい。人数は多くなくてよいが、実力があり、特定の分野で日本社会に認められていることが条件だ。あなたのように大学には所属していないが、日本社会で広く認められている人材もぜひ入ってほしい」
私は日本社会に向けて発言する立場の在日中国人ジャーナリストとして、これまで日本の華人組織への加入は慎重に避けてきた。しかし、朱教授の提案には強く賛同し、創立メンバーとして参加し、日本“百人会”の発展に全力を尽くす意思を示した。
朱教授とは、どのようにして日本社会に登場するかということについても意見交換した。
私は「日本社会に教授会を認知させ、受け入れてもらうためには、日中両国が関心を持つテーマと結びつけることが重要だ」と自分の考えを明らかにした。
すると、朱教授は提案した。「中国が導入したい日本の新幹線技術を切り口にするのはどうだろう。国土交通省もこの件で頭を悩ませており、我々の意見を聞きたいと言っている」
国土交通省との接触に、私は大いに賛成した。中国は高速鉄道事業の発展のため、日本の新幹線技術の導入を急いでいたのに対して、日本国内では新幹線技術の中国輸出に反対の声が多かった。特に当時の東海旅客鉄道株式会社(JR東海)の代表取締役社長、葛西敬之(1940–2022)は反対勢力の中心人物だった。そしてJR東海は新幹線の最重要路線を有していた。
朱教授は、私たち側の専門人材が十分ではなく、国土交通省を説得することが難しいのではという懸念を示したが、私は以下のように答えた。「ちょうど朝日新聞社が2月に発行した月刊誌『論座』3月号に『中国高速鉄道論争と日中関係』という記事を掲載した。その中には、日本側にとっても新鮮な情報がある。また、国土交通省は私たちを技術専門家とは見ないだろう。中国政府と関係があり中国国民の民意を知っている専門家グループということを理解し、重視してくれるだろう。われわれを通して中国側の意向を探ることができればいいと思うに違いない。あまり心配はいらないと思う」
朱教授は頷いた。「そうだね。それで行こう! 日本華人教授会もこの機会に注目を集め、日本社会に登場しよう」
こうして朱教授の手配で、私たちは国土交通省で開催された座談会に3回参加し、日本が中国に新幹線技術を輸出すべきかについて活発な議論を交わした。
参加者は朱教授、城西大学の張紀浔教授、中日鉄道技術交流に関わる齊琳氏、私など数名。日本側は国土交通省の官僚たちおよび川崎重工、日立、JR東日本の担当者たちだった。
2003年5月の国土交通省内部座談会で、張紀浔教授は次のように強調した。「中国の高速道路発展初期、日本はサンプルとして2億円の高速道路コントロールセンターを2カ所無償で提供した。中国側はこのような設備を緊急に必要としていたが、全体の価格が高いと感じ、核心部分のみを購入し、その他は国内で製造したいと提案した。しかし、日本側は設備の台座など技術に直接関係ないものまですべて購入してほしいと譲らなかった。そのため、中国はハンガリー製などを輸入し、高価な日本製の購入は結局、見送られた。現在、中国の高速道路総延長は世界第2位となったが、日本側はまったく利益を得ていない」
張教授はさらに攻め込んだ。「商売はお互いに利益があることが成立の前提です。今回の新幹線技術輸出では、高速道路の経験を踏まえ、双方に利益がある形にもっていきたい」
齊琳氏も、鉄道技術交流の現場経験を交えながら、中日双方の協力状況と課題を説明し、日本の新幹線技術が中国に導入されることで両国に利益がもたらされることを期待した。
私は『論座』での取材に基づいて、次の点を指摘した。
1. 日本の国土は限られており、九州新幹線完成後は新しい路線がなく、技術力の維持・発展が困難になる。中国が独自開発を進めれば、高速鉄道・車両技術など、いずれどこかの時点で習得できるだろう。リニア構想や時速300㎞を目標とする中国版新幹線「中華之星」などが典型事例である。
2. 日本が対中協力を拒めば、新幹線は海外展開の機会を失う。中国は技術を習得すれば、東南アジア・中央アジアに展開する可能性が高い。
3. 高速道路技術導入時の「台座」のような些細な問題にこだわらず、日本の技術が中国の高速鉄道に受け継がれること、そして人類の移動への貢献を重視した方がよいのではないか。
1978年に始まった中国の改革開放の象徴的存在は中日協力による上海宝鋼の建設だった。四半世紀後のいま、新たな協力のシンボルとして、新幹線技術の輸出は重要な意味を持つと思う。
また、日本国内には技術輸出に反対する勢力が強く、中国国内にも反対意見があり、ネット上で鉄道部主要幹部の自宅の住所が公開され、抗議の手紙がたくさん送られるなど圧力がかかっていた。
そのため、私は日本側に中国国民への説明や新幹線技術の斬新さ・信頼性の紹介に重点を置き、新幹線は人口密集地域での運行に適した高速鉄道システムであることを強調すべきだと助言した。
当時、日本国内では新幹線技術輸出に関して二大陣営があった。
反対派(JR東海が中心):技術保護主義を主張。葛西敬之社長は、技術流出は日本に不利益であり、川崎重工の対中技術供与は「売国行為」であるとした。中国が「市場を開放して技術を得る」策略によって日本の新幹線技術を取得しようとしていると反対し、中国に技術を盗まれる可能性があると警告した。葛西社長は中国が本当に新幹線技術を導入したいのならば、ネジ1本に至るまですべて日本から輸入すべきだと主張した。
賛成派(川崎重工・JR東日本が中心):国内に新路線がなく技術が老朽化するため、中国との協力は有益である。川崎重工は既に協力車両を選定済みで、東北新幹線E2系1000型「はやて」をベースに技術提供を準備していた。この車両は東京―盛岡・八戸間で運行し、その後新青森まで延伸した。この型式は2000年以降、東北新幹線の盛岡以北の区間での高速化運行(時速300㎞)のために開発された改良型で、10両編成であった。しかし、反対派の圧力や世論を恐れ、大々的に主張する勇気はなかった。
座談会で日本側は、中国国民が技術導入に強い反対の意志を持つことを予想しておらず、私の助言で新幹線の宣伝・理解促進の重要性を認識した。
同年6月28日、私は教授会を代表して在日中国メディアの記者らを集めて仙台で新幹線の見学会を行った。JR東日本は新幹線車両整備現場、運行管理センター、夜間線路点検なども見学させてくれた。
教授会のメンバーは授業等で参加できないこともあり、私が代表としてすべての現場を訪問した。私たちの訪問は中国メディアで報道され、新幹線に対する中国国民の理解が深まると同時に、新幹線技術を中国に輸出することに対する日本国内の抵抗感にも変化をもたらした。
2004年、中国鉄道部は高速列車技術に関する入札を実施し、川崎重工が他の日本企業を束ねて落札し、主な協力先となった。中国導入後、E2系はCRH2初期型「和諧号」となった。
国土交通省や新幹線車両・設備メーカーが中国への技術輸出に最終決断を下す重要な瞬間、華人教授会は日本側の内部から推進力を提供し、日本側が迅速に判断するようにその背中を押した。
華人教授会はこの機会を生かして日本社会に初登場し、注目され、中日交流・協力の主要な架け橋とプレイヤーとなった。私もこの過程において、自らの努力と汗を流すことで、多少とも貢献できたことを誇りに思っている。
JR東日本のカスタマーセンター

新幹線運行管理センターの仕事風景

運行管理センターのディスプレイに表示された各車両の運行状況

新幹線の整備工場

莫邦富は華人教授会を代表して、在日中国メディアを集めて新幹線の運行現場を訪問した

緻密なダイヤグラムによって、新幹線の高密度で高速度の運行が実現されている

JR東日本は在日中国メディアの訪問を歓迎し、運行管理と車両整備現場を見学させてくれた

走行中の新幹線の運転席

川崎重工などの企業の幹部らが新幹線と欧米の高速鉄道の違いや新幹線の利点を説明した

専用の台車の上に整然と並べられた工具

在日中国メディアの見学会はハードスケジュールで昼食の弁当を食べるとすぐに次の説明が始まった
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