アジアの眼〈89〉
「アートは遊び心である。意味のないことに意味がある」
――GUTAIセカンド・ジェネレーションの向井修二

大阪中之島美術館で、GUTAIのメンバーである向井修二(Mukai Shuji)氏を取材した。

朝から新幹線で新大阪に降り立ち、芦屋霊園に眠る、GUTAIの絶対的な存在だった吉原治良の墓参りに向かった。お盆直前ではあるが、GUTAIというグループを18年間にわたり率い、日本の現代アート史に大きく貢献した吉原治良への敬意を込めたものである。

photo by otruji

ちょうど芦屋市立美術博物館では、「具体美術協会と芦屋、その後」という展示会が開催されていた。

戦後の日本では、1954年に発足したGUTAIは、「具体美術宣言」において次のように述べている。「・・・具体美術は物質を変貌しない。具体美術は物質に生命を与えるものだ。具体美術は物質を偽らない。具体美術に於ては人間精神と物質とが対立したまま、握手している」。

GUTAIの存続した18年間(1954―1972年)、吉原治良は絶対的な存在感を持つリーダーであるだけでなく、すべてにおいてスタンダードであった。みんなの先生であり、作品展に出品するかどうかの判断も彼に委ねられていた。「人のことを真似るな」「自分だけのものを作れ」は、二つの大きなスローガンであった。

向井修二氏はGUTAIのセカンド・ジェネレーションの作家の一人である。

若者達と向井修二のインスタレーション、2020 アトリエ提供

GUTAIのリーダーである吉原治良の本質は「遊び心」にあると、向井氏は語る。『芸術新潮』1956年10月号に掲載された、田中敦子の電気服、白髪一雄の足で描く行為、木下淑子の化学薬品と濾紙、嶋本昭三のガラス瓶の投げ付けなど、メンバーの具体的な作品行為を列挙した宣言は、芸術界を大きく震撼させた。それは既存の伝統に対する叛逆だけではない。戦後日本社会における若者集団の集団的叛逆が、作品表現を通して世に宣言をしたように認められる。アンフォルメルのマチュやタピエへの共感は、GUTAI宣言に外側からの「根拠」を提供したと考えられる。

1940年生まれの向井氏は、当初は音楽を志していたが、浪人は許されず、1959年、大阪美術学校(現・大阪芸術大学附属大阪美術専門学校)に在学中、19歳の若さで第8回具体美術展に出展した。1963年、23歳の若さでグタイピナコテカで初個展を開催し、1969年にGUTAIのメンバーに迎え入れられる。松谷武判、前川強とともに、名前のイニシャルから「3M」と呼ばれ、一見無意味な「記号」の集積によって、あらゆる価値体系を無効にするという概念のもと、独自のインスタレーションのスタイルを確立した。同年には、「作品は創造行為の排泄物にすぎない」という立場を貫き、自らの平面作品を焼却するハプニングを行うなど、リーダーの吉原から「一見クールに見えながら猛烈なエネルギーを内包する」と評された。

モダンジャズ喫茶「チェック」 1966年
アトリエ提供

やがて、関心はビジネスへと移行したが、1993年に制作を再開し、精力的に発表を続けるようになった。初個展の際にキャンバスに油彩やペンで描かれていた記号は、その後、空間やトイレ、喫茶店、そしてその空間に溶け込んだ「自分」にまで侵食し、拡張していった。

向井氏曰く、ハプニングは「行為後」が美しいのに、残された画像はほとんど「行為中」になっているという。その方が報道されてわかりやすいからかもしれないが、金山明のルンバで描く絵では、作家は隣で寝ていたという。だから本質的にGUTAIメンバーのハプニングや絵は「何を描くか」より「誰が描くか」であり、さらに言えば「何を描くか」より「どこで止めるか」が大事である。

インスタレーション、2024.アトリエ提供

音大を目指していた彼は、ピアノの演奏の勉強のほか、マンボーやチャチャチャ、ジャズなど、当時の若者が好み、女の子にもモテる音楽に興味をもっていた。そのため、GUTAIメンバーの中でも作品に独特のキレとリズム感がある。「記号の部屋」は、喫茶店「チェック」全体を覆い尽くすような無限重複や、侵蝕する外来種のような造形で、現代社会の大量生産・大量消費、さらには現在の情報化社会を揶揄しているようにも思える。SNSやAIによって容易に作られる大量の電子ゴミに囲まれ、人はいつの間にか、起きてから寝るまで携帯を見ながら寝落ちするか、大音量で連ドラをつけたまま眠っている。

2022年、コロナ禍中に大阪中之島美術館と国立国際美術館の二館共同主催による展示会「すべて未知の世界へ―GUTAI分化と統合」では、「吉原治良の好奇心」という講演会が行われ、ハプニングも一階ホールで開催された。この大阪中之島美術館と国立国際美術館の二館同時開催による大回顧展は、2012年の日本国内における国立新美術館の開館5周年記念展『「具体」―日本の前衛18年の軌跡』と翌年ニューヨークのグッゲンハイムに巡回した展覧会に続き、GUTAIの世界的な認知度を上げた。それに伴い、商業的には白髪一雄、田中敦子、元永定正らメンバーの作品価格が億単位にランクアップした。

《 作品 No.71 1963 》
キャンバス・油彩・ペン(41×31.8cm)※「初個展(グタイピナコテカ)1963年」出品作 アトリエ提供

GUTAIという戦後日本の前衛グループは、三年前のコロナ禍中に再び注目を呼び起こした。

昨年、偶然立ち寄った安藤忠雄デザインの細長いスペース「ICHION CONTEMPORARY」の開館展『GUTAIは生きていた』では、バイオリンに描かれた向井氏の記号作品が吊るされ、注目を集めた。

19歳の在学中の若手作家であった彼の作品は、当時13点ともミシェル・タピエ氏に買い上げられ、励みになったという。

1970年の第1回大阪万博では、野外イベントやインスタレーションなどを盛んに行なった。

photo by otruji

もの派のメンバーが、多摩美や東京芸大の美大出身者がメインだったのに比べ、GUTAIメンバーは美大出がほとんどいない美術史外のグループだった。その中で彼は、美術教育を受けている数少ないメンバーでありながら、その実験的でアバンギャルドな空気感を持つ一人だった。

ラグジュアリーブランド、ルイ・ヴィトンとのコラボもさることながら、新しいテクノロジーへの好奇心が衰えない彼の今後の動きが楽しみだ。

洪欣

東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。ダブルスクールで文化服装学院デザイン課程の修士号取得。その後パリに留学した経験を持つ。デザイナー兼現代美術家、画廊経営者、作家としてマルチに活躍。アジアを世界に発信する文化人。