華人企業が東証の鐘を鳴らす不動産業界の新潮流を牽引

日本の金融街として世界的に知られる東京・兜町。6月30日午前、東京証券取引所1階のホールで、中国系不動産企業・株式会社YAKホールディングスの水神怜良社長が、木槌で鐘を打ち鳴らした。最初の鐘の音がホールに響き渡ると、場内には大きな拍手が湧き起こった。この瞬間、百年の歴史を持つ東京証券取引所で、上場の鐘を鳴らした初の華人系不動産企業となったのである。

湧き上がる拍手の背後には、20年という歳月をかけて、一人の華僑ビジネスマンが自ら切り拓いてきた不動産の絵巻が、静かに広がっていた。

地下室で燃え上がる志

福岡の夜、雨が襟を濡らした。2003年秋、水神氏が南アジアの留学生とシェアしていた地下室には、塩辛い海風が流れ込んでいた。アルバイトに明け暮れる日々の中、ベッドと机の境界はいつしか曖昧になっていた。だが、その地下室で芽生えた「住まいを求める」熱意は、すでに心の奥底で燃え始めていた。

その後、京都・立命館大学で桜が咲いては散る日々のなか、水神氏は自らの学びに対する強い意志を深めていった。コンビニ、居酒屋、ラーメン店で忙しく働いた昼と夜、電車の揺れる車内灯の下、冷たいおにぎりを頬張る黄昏のひととき――そうした一つひとつの時間が、やがて東京の不動産を測る彼自身の「物差し」となっていったのである。

 

ルールへの挑戦と再構築

立命館大学経営学部で優秀な成績を収めていた水神氏にとって、就職に困ることはなかった。卒業を前にして、すでに東京に本社を構える業界大手企業から内定を得ていた。名門大学を卒業し、一流企業に就職し、年功序列に従って昇進していく――水神氏の前には、日本における「成功のレール」が確かに敷かれていた。

しかし、水神氏は華僑としての起業家精神を胸に、年功序列に象徴される日本のビジネス慣行を否定するのではなく、より高い挑戦を求める中で、日本社会により良い形で貢献したいという強い思いを抱いていた。2005年、日本政府が「観光立国」政策を打ち出したとき、彼は日本という国の土壌の奥に熱く脈打つ可能性を感じ取った。同業者たちが建築資材の価格差に目を向けていたそのとき、水神氏はすでに人口移動の潮流に着目していた。日本における外国人のローン(融資)取得の難しさや、上司に却下された観光プロジェクトの企画書――それらはやがて彼の起業プランの一部となっていく。中でも、熱意と情報で、水神氏の起業への決意は揺るぎないものとなった。

 

「安住の夢」の重み

「日本で腰を落ち着けて暮らしたいなら、YAKに頼れ」――今やこの言葉は、日本の華僑・華人コミュニティにおける暗黙の合言葉となっている。その言葉の裏には、異国の地で生きる人々のどれほど深い思いが込められていることだろう。当時、水神氏は、同胞たちが国籍や戸籍の壁によって、日本の金融機関の住宅ローン制度から取得は難しい現実を目の当たりにしていた。積み重なる住宅購入の相談票、銀行と仲介業者のあいだを奔走した足跡――それらがやがて、日中両国の金融をつなぐ橋となっていった。

鐘の音の中に山河を見る

上場の鐘が鳴り響いたその日、水神氏は東京証券取引所の舞台中央に立っていた。スーツのポケットには、2枚の黄ばんだ写真が入っていた。1枚は立命館大学の若き留学生時代の姿、もう1枚は地下室でルームメイトとインスタントラーメンを分け合う場面を写したものだった。会場に鳴り響く拍手が波のように押し寄せるなか、水神氏の耳には福岡の海風の唸りがよみがえり、目には、京都での滞在中にゆっくり鑑賞できなかった紅葉の風景が浮かんでいた。この鐘の音はゴールではなく、新たな旅立ちの号砲だった。YAKホールディングスが年間利益の1%を公益資金プールに拠出し、教育産業チェーンへの展開を計画しているのも、水神氏が華僑商人の伝統を受け継ぎ、「修斉治平」という古来の理念を大切にしているからである。

注目すべきは、水神氏の不動産企業が3年前からすでに上場の準備に着手していたことである。千日を超える日々、揺るぎない決意で突き進んだその過程には、全力投球の日々、喜びと悲しみが交錯する瞬間、諦める場面が幾度もあった。とはいえ、ドラマチックな展開を好む読者にとって、水神氏の歩みに劇的なトピックを見出すのは容易ではないかもしれない。なぜなら、彼の道のりは、いつも堅実で、着実なものであったからだ。

事業の範囲は拡大を続け、従業員の数も着実に増加している。その中で、水神氏はマネジメント体制や企業文化の構築を重視してきた。「魚を与えるのではなく、釣り方を教える」という考えのもと、彼は仕事において独断専行することはなかった。創業初期の従業員が経験に乏しかった頃も、また事業拡大後に部下がミスをした場面でも、水神氏は結果だけを責めたり、感情をあらわにしたりすることなく、常に穏やかな態度で丁寧に指導してきた。なぜなら、彼にとって管理職とは、命令を一方的に下す存在ではなく、後輩を支え、プロジェクトの前進を後押しする「軸」となるべき存在だからである。

現在のYAKホールディングスは、不動産仲介業を出発点としながらも、賃貸管理、民泊運営、住宅ローン代理業務、M&A支援、企業の海外進出サポート、観光マーケティングなど、多岐にわたる事業を展開する総合サービス企業へと成長した。その上場は、保守的とも言われる日本のビジネス社会において、華僑・華人が確かな立ち位置を築いた象徴的な出来事である。しかし、YAKホールディングスの社会的責任や発展の成果は、それだけにとどまらない。水神氏は、グループ全体の年間利益の1%を公益資金プールに拠出することを提案しており、その資金はすべて社会貢献事業の支援に充てられる予定だ。

地下室を借りて暮らし始めてから、東京証券取引所に上場するまで、水神氏は20年という歳月をかけた。いま、彼のオフィスの窓から見える東京湾の水は、変わらず静かに流れ続けている。しかしその流れも、もはや「安住の夢」を抱く人々の歩みを押し戻すことはできない。上場の鐘の響きは、日本の資本市場への扉を開いただけでなく、異国のビジネス界における無形の灯台となった。それは、華人企業が伝統産業に深く根を下ろすだけでなく、日中経済の架け橋としての役割を果たし得ることを、力強く証明する出来事となったのである。

いま、日本の資本市場のスポットライトを浴びる水神氏は、自らが背負う新たな責任の重みを感じている。それは、日本における外国人のローン取得は依然として難しい状況にあるが、外国人が日本社会により良く溶け込み、日本人のマナーや社会のルールを理解できるよう、教育機関への参入を通じて貢献していきたいと考えている。そして、日本における華人企業の社会的融合を支援し、経済成長を実現し、さらに日中間の経済交流を推進していくことにほかならない。やがて世界中から再び観光客の波が東京に押し寄せてくるとき、彼らはどこかの街角で、YAKホールディングス傘下の民泊からふわりと漂う中国茶の香りに出会うかもしれない――それは、ビルの谷間に絶えず流れ続ける、誤解を氷解させる新時代の調べなのである。