古くは藩医の秘伝薬であったのど薬「龍角散」は、近年、人びとの暮らしに浸透している。事業の拡大を旨とせず、株式上場も追求しない。8代目社長・藤井隆太氏のリーダーシップのもと、龍角散は時代の洗礼を受けながら、老舗ブランドとして輝き続けている。先ごろ、本誌は龍角散本社を訪ね、藤井隆太社長を取材した。音楽の道から製薬業界へ──藤井社長は時代の声にどう応えてきたのだろうか。
―― 龍角散の処方が世に出て200年以上、会社設立からも150年以上の歴史があります。その間、日本社会は大きく変化し、龍角散もさまざまな困難を乗り越えてこられました。
藤井 はい。日本には多くの百年企業が存在します。よく「百年企業になるにはどうしたらいいですか?」と聞かれるのですが、私は「百年企業になる必要がありますか?」と、逆に問い返すことがあります。
長く続く企業というのは、絶えず進化しているものです。例えば新しい商品を開発したり、ビジネスモデルを変えたり、その方法は企業によってさまざまですが、変わらなければ生き残れません。
私の先祖は、江戸時代に秋田藩の藩主・佐竹氏に仕えていた御典医でした。喘息に苦しんでいた佐竹氏のために、自ら秘伝の処方箋をつくりました。それに改良を重ねたものが現在の龍角散です。その後、明治維新の廃藩置県により、藩主に代わって知事が選挙で選ばれる時代になりました。そうした社会制度の大きな変化の中で、それまで藩主のために調合していた薬を、大衆向けに提供することになりました。当時は「海外製=優れている」という風潮が強く、輸入品の流入により医療費が高騰し、庶民には手の届かないものとなっていきました。そこで曾祖父は業界団体を立ち上げ、家庭薬を残す活動を起こしました。政府と協議して優れた民間の薬を選別し、保存する取り組みを進めました。その後、関東大震災に遭遇し、大きな損害は被りましたが、当時珍しかった鉄筋コンクリート建築だったため、建物は残りました。なぜ鉄筋コンクリート建築だったのかと言うと、その数年前に大流行した「スペイン風邪」による特需に対応し、「龍角散」を大量生産するための工場だったからです。いかに科学技術が発達しても、我々人類は自然科学の中で生きているのです。約100年前の「スペイン風邪」と同じようなことが現代でも起きることが、何よりの証拠でしょう。さらに太平洋戦争では、米軍の空爆で再び大損害を被りました。しかし、最も厳しかったのは、私が社長に就任した年です。売上は低迷し、借金は膨らみ、社員の士気はどん底まで落ち、自然災害よりも絶望的な状況でした。
龍角散が今日まで成長を続けられたのは、現状維持に甘んじることなく、一つひとつ課題に立ち向かって自己変革し、危機に際して自らの価値を再構築してきたからです。
―― もともとフランスに留学し、音楽家を志していたそうですね。その後、やむを得ず龍角散を継ぎ、経営者になられたとのことですが、それは大きな挑戦だったのではないでしょうか。音楽家としての活動と企業経営をどのように両立されたのでしょうか。
藤井 私はもともと音楽を学んでいました。桐朋学園を卒業後、音楽活動を続け、フランスにも留学しました。企業経営にはまったく興味がなく、自分がその道に進むことなど考えたこともありませんでした。しかし、今思うのは、音楽と経営には共通点があるということです。
フランス留学中、私はクラシック音楽の素晴らしさを実感しました。同時に、それが自分たちの文化から生まれたものではないという違和感も抱きましたが、その異文化に憧れてわれわれ東洋人は、一生懸命勉強するわけです。楽譜通りに正確に演奏することはできても、技術が世界最高水準に達したとしても、単に模倣するだけでは意味がないということに気付いたのです。だからこそ、自分だけの個性を見つける必要がある。これは、私の仕事における「オンリーワン」へのこだわりの原点になっています。
フランスから帰国後、一度は音楽の仕事もしましたが、日本におけるクラシック音楽の世界はビジネスセンスが弱いことに気付き、ビジネスの世界に入ることにしたのです。サラリーマンとして小林製薬・三菱化成工業(現・三菱ケミカル)に勤務し、10年を経た時、転機は34歳のときに訪れました。父が突然病に倒れ、35歳で社長を引き継ぐことになったのです。当時、会社は存亡の危機にありました。売上は低迷し、40億円の負債を抱え、社員の士気も落ちていました。私は、会社が無理をして利益重視の方針になると社会に迷惑をかける恐れがあると思い、廃業することも考えましたが、どうやっても借金や働けない社員が残ってしまいます。悩んでいた時、妻の一言に心を動かされました――「今まで支えて頂いたお客様に、恩返しをすべきではないですか」と。
私がまず取り組んだのは、「大企業病」からの脱却でした。多くの経営者は会社を大きくすることに執着し、大企業の真似をしますが、実際、消費者が関心を持つのは企業が大きいかどうかではなく、製品が信頼できるか、品質が安定しているかです。そこで私は、拡大路線をやめ、喉の専門分野という自社の強みに集中し、「オンリーワン」を目指す方向へ転換しました。
これは、クラシック音楽の世界とも似ています。もし10人のフルート奏者がみな同じような演奏をしていたら、記憶には残らず、次の演奏の機会も得られません。独自の表現力を発揮してこそ、生き残ることができるのです。この信念が、私の龍角散経営にも貫かれています。
―― いまや龍角散は多くの国で家庭の常備薬となっています。その要因は薬効だけでなく、安心感だと思います。経営者として、企業の責任をどう定義されますか。また、消費者からの信頼をどう受け止めておられますか。
藤井 龍角散は、重い病気を治すための強い薬ではなく、喉に少し違和感を覚えたときにやさしく働きかけるセルフケア型の医薬品です。われわれの主力製品は第3類医薬品で、作用は咽喉の粘膜に限定され、他の臓器に負担をかけません。薬は単に効き目が強ければ良いという訳ではないのです。ですから、妊婦の方や基礎疾患をお持ちの方、敏感な体質の方にも安心して使っていただけます。まさにこの「安心感」こそが、われわれのブランドの核心です。
われわれは喉に関わるさまざまなニーズを探るなかで、社会的にあまり注目されてこなかった問題に気づきました。それは服薬困難者の存在です。
私は自ら介護施設を訪問し、介護職員が薬をおかゆにまぶして高齢者に飲ませているのを見て、大きな衝撃を受けました。もちろん現場の方を責めることはできません。薬を飲んでもらえなければ病状は悪化してしまう。だからこその工夫です。けれども、これは患者さんの最後の楽しみを奪っていることにもなりかねません。医療品メーカーとしては耐え難いことでした。
そこから、良い解決策はないものかと模索し、服薬補助ゼリーの開発に取り組みました。その過程で医学や人体の構造を研究し、人間が直立二足歩行をする動物であるがゆえに、実は嚥下という行為そのものが非常に複雑で、ミスが起きやすい動作であることが分かりました。
私たちの目的は、製品を多く売ることではなく、悲劇的な事故を減らすことです。この製品によって、高齢者が最期まで自分の口で食事することができたら、その社会的意義は大きいと考えます。
その後、小児科の先生から、子ども用のものもあればという声をいただきました。そこでわれわれは、子ども向けの服薬補助ゼリーを開発しました。現在この製品は、売上全体の5~6%にすぎませんが、命を救う商品という意味で、売上よりも社会的価値の方が大きいと考えています。
コロナ禍では、われわれは一度も「ウイルスに効く」と宣伝したことはありませんでした。それでも、消費者の皆さんは「喉を守ること」の大切さに気づいてくださいました。健康への意識が高まること――それは、どんな広告よりも効果があります。
―― 近年、龍角散はアジア、特に中国市場で非常に高いブランド評価を得ています。今後のアジア市場での戦略をお聞かせいただけますか。また、株式上場のご予定はありますか。
藤井 アジア市場においては、売上よりも信頼の構築を最優先に考えています。中国市場の展開も、この考えで進めてきました。
われわれが大事にしているのは、現地の文化と消費者の本当のニーズを理解することです。製品情報、広告、パッケージデザインなど、すべて現地の消費者に合わせた工夫をしています。
市場を知るには現場に足を運ぶことです。私は毎年5~6回は中国を訪れ、現地の販売代理店や消費者と直接対話をしています。データやレポートだけで、その国の市場のニーズを掴めるとは思いませんし、オフィスでじっとしていても何も分かりません。例えば、消費者はどんな味が好みか、タブレットタイプを好むのか、それとも粉末タイプを好むのか、「やさしくて効く」というブランドイメージはパッケージに反映されているのかといった改善のヒントは、すべて現場からのフィードバックによるものです。
また、製品の品質と安定供給を確保するため、現在、日本国内、特に秋田県で生薬の自社栽培プロジェクトも進めています。これにより、海外原料への依存を低減すると同時に、地域の農業振興に寄与することができます。
上場の予定についてですが、現時点では株式を上場するつもりは一切ありません。上場するとどうしても「大企業病」に罹ります。数字をよく見せるための無理なプロモーションをしたり、事業の拡大に走って長期的な視点を見失うといったリスクがあります。龍角散は大企業になる必要はありません。それより大事なのは、社会のニーズに対応できる迅速性と斬新性をもつことです。
アジア地域、特に中国は、巨大な市場というだけでなく、ともに健康意識を高め、信頼を築いていける大切なパートナーだと考えています。
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