福岡に、103歳の現役で活動する元九州派の作家、齋藤秀三郎を取材に訪れた。日帰りの福岡出張は、あいにくの雨だったが、なぜか清々しい気持ちになった。
四ツ谷駅前のビルにあるMikke Galleryで、「九州派イン東京地方」が開催されていると聞き、以前から興味のあった九州派の作品を見に、展覧会の最終日に駆け込みで足を運んだ。
会場にいたスタッフの方と話すチャンスに恵まれ、今回の取材へとつながった。幸運にも、彼女は齋藤氏の担当だったのだ。
齋藤は1922年、宮崎県西都市に生まれる。1935年に地元の小学校を出たあと、1942年に県立第一鹿児島中学校(現・鶴丸高等学校)を卒業。翌1943年、南満州工業専門学校鉱山工学科(大連)に入学し、1944年に海軍飛行専修予備生徒に志願して三重海軍航空隊に入隊するが、翌1945年に終戦を迎え、西都市に帰省する。
小学4年生の頃、担任の先生に絵を良く褒められたことで、夢中になって描くようになったという。帰省後の1946年には(旧制)第七高等学校・理科に入学し、1952年には(旧制)九州大学農学部水産学科を卒業する。石川県水産試験場への就職の話もあったが、北陸の寒さに馴染めないと感じ、福岡市の姪浜中学校(理科)で教える道を選んだ。そこで、かつて総理大臣賞を受賞したこともある美術教師との出会いをきっかけに、美術への情熱が再燃した。ご本人いわく「沸騰した」と表現するほどの覚醒だった。その頃、伊藤研之に師事し、1953年と1954年には、福岡県美術展に出品した。1955年と1956年には、子供や労働者を描いた作品が二科展に二年連続して入選した。だが1957年、福岡県美術展には入選したものの、二科展では落選してしまう。落選の衝撃は大きかったらしく、九州派のリーダー・桜井孝身に会った際、「俺たちは落選者を大切にするグループだ」と言われ、同年、九州派に参加することになる。1958年、東京では読売アンデパンダン展が東京都美術館で第10回を迎えていたが、福岡では西日本新聞社講堂にて第1回九州アンデパンダン展が開催された。
この時期、特殊教育に関心を抱き、1959年には福岡県立盲学校に転勤した。この年、東京のモダンアート展、自由美術展、第3回九州派展に加え、地元の福岡県美術展にも出品した。同年、「グループ西日本」にも参加することになる。
1960年代の日本美術界はアンフォルメル旋風の時代であり、サム・フランシスやジャン・デユビュッフェらの研究に取り組み、グループ西日本の時期には抽象絵画を描いていた。1960年代末には、インスタレーションも実験的に試みることになる。
1985年には、メゾチント技法による版画作品を制作し、第1回和歌山ビエンナーレにキャベツ作品を出品。「銅版画による確かな手応えを感じた」と語っている。東京と福岡の展示を経て、1988年頃からは関西にも活動が広がり、スイスやポーランド、旧ユーゴスラビアなど海外にも出品の場を広げていった。
1992年には福岡市美術館で個展を開催。2008年に2回目の同美術館での個展に至るまで、兵庫県のエンバ中国近代美術館で1992、1993年、1994年と3年連続してコンクール展に出品した。さらに1994年には、地元福岡の久我記念美術館で版画展が開催された。
その後も、福岡の画廊で個展を重ね、2008年には福岡アジア美術館で個展を開催。さまざまな画廊スペースで定期的に個展およびグループ展を開催してきた。
四ツ谷のMikke Galleryで開催された「九州派イン東京展」は2期に分けて開催された企画展である。戦後日本美術において、国際的に注目を集めてきた関西の具体美術協会(GUTAI、1954年-1972年)、関東のもの派(1968年―1972年)に比べ、九州派はほとんど作品が残っていないイメージがあった。加えて、地域的にもローカル感が強く、ネオダダと同様に、これまであまり注目されてこなかったようだ。しかし、戦後日本における、組合的で非主流的、かつ美大出身者でないメンバーによるアンデパンダン展の、地方性の強い「暴れる群れ」は、活動期間こそ短かったが、アスファルトを素材にしたそのムーブメントは、後に登場する関根伸夫の「位相―油土」や、ジャッドらがアメリカで進めた、工業用品を素材として使った70年代の動きとも繋がる気がする。その意味で、九州派の実験性とアバンギャルド性は「反知性」的で「反東京」の上A IとWEB3の「脱中心化」にも繋がる、いまなお新しいムーブメントに思えてきた。
九州派の中で最年長だった齋藤は、メンバーの中で最も長生きしている作家だ。日常生活の中で良く見かけるキャベツは、形として赤ちゃんの頭に似ており、文様はむき出しの血管のようにも見えるという。そして、キャベツは命の生まれる形であると同時に、守るべき形にも思えるのだという。キャベツとさまざまな異物との組み合わせによって成り立つ作品は、ごく普通の日常の中にあるキャベツを通して「重い」テーマを表現しているような、どこか勇ましささえ感じさせる。「大きな葉が命を包むように、一枚一枚が重なり合って大きな玉になっている姿には、ユーモアさえ感じた。そして何より、あの大小の葉脈は、キャベツを血管むき出しの生き物のように変え、まるで現代科学の飽くなき探究にさらされた命の象徴に見える」と自ら語り、「文明キャベツ」のタイトルで展示会を開催する。
取材中に何度も話題になったのは大谷とバンクシーの話だった。好きなものに対してまっしぐらに熱愛を語るその眼差しは、まるで少年のように純粋だ。表現者は社会的責任を持っているのと同時に、「暴力主義」が蔓延する現代社会の中にあっても、「現実」を笑うことはできるし、チャプリンのように喜劇的に、そしてカッコよく表現すべきだと語る。
1週間前に103歳の誕生日を迎えたばかりの巨匠。謙虚でユーモアあふれるその真摯な姿勢に、リタイアを必要としないアーティストという職業の素晴らしさを改めて実感した。齋藤は、世界にさらに認識されるべきアーティストであると、心から思う。(取材協力、作品画像提供:『一般財団法人九州美術振興財団』)
洪欣
東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。ダブルスクールで文化服装学院デザイン課程の修士号取得。その後パリに留学した経験を持つ。デザイナー兼現代美術家、画廊経営者、作家としてマルチに活躍。アジアを世界に発信する文化人。
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