楊多傑 日本中国茶研究所所長
祁門安茶:中国黒茶の逸品

紅、緑、青、黄、黒、白――茶は大きく六種に分類され、それぞれに異なる魅力がある。黒茶のなかでも逸品として誉れ高い祁門安茶は、山奥にひっそりと咲く蘭のように清く麗しく、それでいて誇らしげで、俗世を離れて独歩する孤高の存在といえよう。聖茶? 夜露? 安茶の製造と伝承にまつわるエピソードは枚挙にいとまがない。神秘に満ちあふれた祁門安茶、そのまろやかな口当たりは長き時の経過によってもたらされる。この不可思議な中国の黒茶――祁門安茶は、時が経つほどにその価値を高めてゆく。それは、さながら深山から掘り出された玉の原石が雕琢を経て輝きを増すかのようで、あまりのうまさに誰もが舌を巻く。

先日、中国茶文化学者にして「多聊茶」発起人、日本中国茶研究所所長の楊多傑氏が本紙編集部を訪れ、祁門安茶の過去と現在について詳しく語ってくれた。そのひと時は妙趣に満ちあふれ、思わず膝を打つことも頻りであった。そこで、科学的な知識と芸術的な価値を兼ね備えた楊氏の話をここに一文として記録し、銘茶さながら読後の味わいを堪能してもらえるよう、読者に謹んで捧げたいと思う。

祥源安茶産業文化博覧園

祥源安茶工場

 

黄金の地帯と茶樹の天堂

自転する地球をもし宇宙から眺めたら、ある植物からなる不思議な黄金の帯に人々の視線は釘付けになるであろう。北緯30度線である。それは古代の四大文明を貫通するとともに、中国十大銘茶のうち九種を産する二大名産地――新安江上流と武夷山をもつないでいる。

もう少しズームして、新安江上流の産地の中心に位置する安徽省黄山市祁門県に焦点を合わせてみよう。その茶葉生産の黄金地帯は大自然の霊気を集めて文明を育んできた不思議な土地で、悠久の時を経てなお芳名は香り、海外でも誉れ高い二種類の銘茶を生み出した。それが祁門紅茶と祁門安茶である。祁門県は「九割の山、五分の田んぼに五分の水」といわれ、土地は広く人は少なく、88.64%が森林によって覆われている。とりわけ「華東最後の原始林」と称される牯牛降は、そうした自然豊かで神秘的な土地に、より多くの魅力的な伝説を添えている。

汚染とは無縁で純天然を保つ祁門の自然条件、それこそが祁門紅茶と祁門安茶の生産にもっとも理想的かつ必須の環境であり、一帯が茶葉の天国とも称されるゆえんである。

祁門安茶の原材料は祁門櫧葉種が主で、とりわけ川辺の湿地に生育した茶葉を最上とする。それというのも、祁門県の母なる河——閶江の滾々たる流れによって運ばれた泥砂が堆積し、祁門安茶の根や茎に養分をもたらして、その魂を活性化させるためである。そうした山河や谷に散在する茶園は、さまざまな要因が純粋かつ有機的に結びついた自然の恵みを受けており、さながら深窓に珍蔵された秘宝のようである。2013年、中国国家質量監督検験検疫総局は、祁門安茶を国家地理的表示保護制度の対象製品として正式に認可し、さらに安徽省祁門県にある蘆渓郷、溶口郷など15の郷と鎮を、安茶生産に適した地域であると明確に定めた。これにより、祁門安茶の伝統的な生産工程と地域の独自性を保護し、ブランド価値の向上と茶葉生産の促進がいっそう図られることとなった。

2015年初頭、祁門県人民政府は「祁門安茶地理的表示製品保護管理暫定法」を発布し、商標、包装、説明、広告、その他関連する取り扱いや展覧会など種々の茶事活動において地理的表示保護製品のマークを使用できるのは、県人民政府より認可を得た機関に限ると、よりいっそう明確に規定した。祁門安茶に対するこうした上意下達の重視は、その保護と発展という面で最善のバックグラウンドを提供し、また、消費者が正真正銘の祁門安茶をよく知り、よく味わうという点でも、必須の条件であると言える。

祁門安茶

祥源安茶工場の茶倉庫

歳月の魔法と味覚の花園

祁門安茶の包装には極めて特色がある。熊笹の葉で包み、細く割った竹で編んだ籠に入れられる。その籠は古くは楕円形でがっしりと丈夫なものであったが、近年では少し高さを出すようになり、視覚的な美しさや精緻な作りにも重きが置かれている。茶を淹れるときに、はがした熊笹の葉を茶と一緒に茶壺に入れて煮るのが、通のやり方である。茶のうまみ、竹の爽やかさ、笹の薬味、最上級の祁門安茶は、これらが三位一体となって融け合った先にある。

上質な祁門安茶は、採れたその年から飲むことができる。熱湯で淹れて雑味を落とすと、口当たりはまろやかで、飲むほどに味わいが増してくる。はじめは濃く深みがあり、中ほどはしだいに調和の取れたうま味となり、そのあとには心地よい甘みがやってくる。緑茶のさっぱりとした感じ、紅茶のもつ甘み、極上の烏龍茶である岩茶の風味、それらをすべて兼ね備え、またゆったりと調和しながら移り変わり、飲んだあとも長く余韻が続く。祁門安茶は深みと甘みを主調として、体の調子を穏やかに整え、体内の余分な熱を取り除きつつ乾燥を防ぐ効果がある。安茶はたとえ初めて手にする人であっても気楽に楽しむことができ、かつて蘇軾が「且つは新火を将いて新茶に配し、詩酒もて年華を趁わん」と詠んだ情趣を味わえるであろう。

祁門安茶には、「越陳越香甜、越陳越珍貴(時が経つほど香りはまろやかに、甘みが増し、価値も高まる)」の謂いがある。原材料の品質だけでなく、産地、貯蔵条件、熟成期間といった要素が、すべて祁門安茶の味に直結する。祁門安茶は、日月が移ろい季節が変わるほどに、その渋い香りや棗の香り、薬の香りが日増しに強くなり、口に含んだ時の混じり気のないこくとまろやかさも格段に増す。一年ものの祁門安茶はさっぱりとした甘みがあり、色は橙か薄い琥珀のようで透明感がある。三年ほど寝かせたものは味わいが豊潤になり、茶の湯の色も深みを増して琥珀色から濃い赤にまでなる。透明感はそのままにえぐみが減退し、上述した味の層がはっきりと力強く感じられる。十分な熟成を経た安茶は淹れても煮出してもよく、味わい深くまろやかで滋味に富む。つまり、祁門安茶は年月の流れとともに育つのであり、時間という魔法によって豪華絢爛な味覚の花園を造りだすのである。

祁門紅茶の専門家・陸国富氏と祁門安茶の無形文化遺産伝承人・孫西傑の案内で、祥源安茶工場を見学する楊多傑氏(左)

物と時とを見極め、

夜露にて点睛する

祁門安茶の製造工程は、ほかの茶と大いに異なる。それはおよそ半年間の長きにわたって続けられ、春と秋の節気である穀雨と白露が、安茶製造における節目となる。春に若い葉を摘んだら、攤青(広げて置く)、殺青(加熱)、揉捻(揉む)、乾燥という初期の四工程を経て、それが済めばしばらく倉庫で寝かせる。そして梅雨の時期になると、篩にかけ、風で軽い不純物を飛ばし、枯れたものや茎などを手作業で丁寧に取り除く。そうして最後に、茶葉の大きさや形状、品質などで規格にあうものを選りすぐって、上質な茶の山がようやく完成するのである。

とはいえ、そうして精製された祁門安茶はまだ点睛を欠く。二十四節気の第十五——白露の到来を待たねばならない。高く抜けるような秋空のもと、まずは精製された祁門安茶を日中のうちに烘籠と呼ばれる竹かごに入れて加熱する。そして日が暮れると、祁門安茶を取り出して蓆の上に薄く平らに広げ、室外に置いておく。製造者は、まるで赤子を見守るように、夜通し数時間おきに茶葉を混ぜ返し、夜露をまんべんなく茶葉に含ませ、明くる朝にそれを取りこむ。

これが「夜露」である。この作業はあるいは「承露」とも呼ばれ、祁門安茶のもっとも独特な製造工程にして、その品質を決定づける最大の要因でもある。明から清の時代にかけて、祁門は二十数名もの侍医を輩出している。言い伝えによると、この夜露は漢方薬の製造工程における「炮製」に着想を得ているという。夜のうちに降りた露の潤いが祁門安茶の発酵作用を促進し、雑味やえぐみが取り除かれることで、いよいよ口当たりはまろやかになり、心身への効能もいや増すのである。

祁門安茶の夜露製法を体験

半世紀の睡り、

歳月ゆえの価値

祁門安茶の歴史は古く、明代に興り清代に隆盛した。晩清から民国期に至っては、谷の奥深くで馥郁と香っていた祁門安茶が、華僑華人の足並みとともにその香りを遠くまで漂わせ、海外においても売り出されるに至る。とりわけ体内の湿気を除き消化器系の機能を改善する効果により、広東や東南アジア一帯の茶を愛する人々からは「聖茶」と称された。実際、華僑の多くの家庭では祁門安茶を買い置きしておく習慣があり、現地の漢方医も祁門安茶を漢方薬の手始めとしてよく処方していた。そうした需要が繁栄をもたらし、『祁門県志』によると、20世紀初頭には、祁門県だけで47もの安茶を扱う茶商があったと記録されている。

そのほとんどが広東に輸出されていた。かつては広東・広西の茶楼にて、「楼を上りては安茶を飲み、楼を下りてはプーアル茶を飲む」と言われていたほどである。たしかに雲南プーアル茶と祁門安茶は同じく後発酵類黒茶ではあるが、前者は濃厚な味と爽やかさ、ストレートな後味に特徴があり、茶楼一階のオープンスペースで楽しむ一般的な客の好みに合う。一方、後者は口当たりがまろやかで甘く、後味も落ち着いており、二階の個室に集まる名士貴顕たちから喜ばれる。業界の関係者が話してくれたところによると、ある老舗は涼茶(体の熱を冷ます)の中に年代物の安茶を惜しみなく入れて煮だしたことで、林立する茶楼の中で頭一つ抜けだし、数多くの商品が並ぶ涼茶市場で活路を切り拓いたという。

ただ残念なことに、絶え間なく続く戦火によって、東アジアや東南アジアの人々の生活は踏みにじられ、祁門安茶の生産と輸出もしだいに落ち込んでいくこととなった。こうして一世を風靡した「聖茶」は、ついに表舞台からその姿を消してしまう。

時は下って八十年代、ある安徽省の茶葉会社宛てに、華僑茶業発展研究基金会の発起人で、国を愛する華僑の関奮発氏から、一通の手紙とひと包みの年代物の安茶が送られてきた。いわく、「半世紀のあいだ眠っていた祁門安茶を復興しよう」と。関奮発老人が郵送してきたものこそ、祁門安茶の老舗中の老舗「孫義順」が1930年代に生産した安茶だったのである。

埃を被っていた遠い記憶が喚び起こされ、かつての栄光が眼前に浮かび上がる。しかし、品質と伝統を重んじる祁門安茶が、そうやすやすと拡大路線に舵を切るのは難しい。目下のところ、祁門安茶製造の最大手は祥源茶業で、年間生産量と販売量において他を圧倒的に引き離している。2024年、全国における祁門安茶の総生産量は、史上最高の500トンを記録した。だが、2023年の雲南省のプーアル茶は16.1万トンである。つまり、祁門安茶の生産量最高記録は、例年のプーアル茶生産量の三百分の一にも届いていない。

玄人は本質を見極め、素人はうわべに踊らされる。安茶は生産量が少ないゆえに高品質なのであって、もしそれを人気が無いからであるとか味が良くないためであると思い込むのであれば、それはまったくの見当違いというほかない。そもそも後発酵茶は、時間という属性と収蔵する価値とを有するものなのである。雲南省のプーアル茶や湖南省の安化黒茶などは、その市場価値や影響力という点ですでに一定の成功を収めている。それらに近い存在の祁門安茶は、市場規模こそまだ小さく、価格もわりと手頃であるが、今後さらなる発展を遂げる余地を大いに残している。2018年、香港のL&H AUCTIONで、関奮発老人が郵送したものと同年代の祁門安茶が、88.5万香港ドルで落札された。そして2023年、同じような祁門安茶が中国嘉徳オークションにて出品されると、その落札価格は一気に184万香港ドルにまで跳ね上がった。

蘆渓郷洲茶茶園を訪問

祁門安茶の高火加工技術を見学

取材後記

ひとひらの茶葉に宿るもの、それは天地の与えし恵み。長き文史の流れを秘めて、あまねく広まる満天下。悠久の中華、儚く消えた珍奇な宝は幾ばくか。ひと壺の祁門安茶を五感で味わう旅の途中で、茶を愛する人の逸話に耳を傾けるのは、文化の伝承に与ってまたなんと有意義なことではないか。(編集協力:周静平)