アジアの眼〈86〉
アート・バーゼル香港
――アジアのアート・シーンを映す鏡

恒例のバーゼル香港の開催に合わせ、3月23日から香港に向かった。

アート・バーゼル香港は、スイスのアート・バーゼルが、2007年に設立されたアート香港を買収し、2013年にアート・バーゼル香港として開始されたものだ。これは、アート・バーゼル初の国際的な傘下フェアとなり、世界最大で、最高水準の品質を誇るアートフェアが、金融の中心である香港の街に降臨したことを意味する。

筆者と胡項城夫婦 in Shang Artブースにて photo by Nannan

コロナ禍では、欧米のギャラリーが来られない状況があり、アジアのギャラリーが大半を占めた年もあったが、今年は欧米のメジャー・ギャラリーが復帰してきた感がある。コロナ禍前の盛況が、少しは戻ってきたと言えるかもしれない。

アート・バーゼル香港は、スイスの影響力あるアート・バーゼルを開催する会社の、アジアを統括する地域最大のフェアとして位置付けられている。コロナ禍中の2022年1月26日、アート・バーゼルの親会社であるMCHグループが、同年10月からグラン・パレで現代アートのフェアを開催すると発表した。従来、10月のグラン・パレでは、1974年からフランス国内最大級のアートフェアFIACが開かれてきた。しかし、2022に行われた10月の使用権入札をMCHが落札したことで、アート界に大きな変動が起きた。アート・バーゼルは、スイスのバーゼル、米国のマイアミ・ビーチ、そして香港でフェアを定期的に開催しており、パリは第4の開催地となった。

Yoshiaki Inoue galleryのブースにて、井上親子と筆者 photo by Nannan

世界戦略の構図を時系列でたどると、3月末に香港でアジア、6月中旬スイス・バーゼル、10月にパリ、そして12月初旬にマイアミ・ビーチで開催される流れとなっている。

フリーズ、アーモリー、テファフと並んで世界5大アートフェアのブランドの一つとして、FIACは1974年の初開催から2020年にコロナで開催中止となるまで、大きな影響力を持つアートフェアであった。

グラン・パレ側の決定により、数十年間にわたり影響力を保ち、イギリスのEU離脱後にさらなる期待が寄せられていたFIACを、アート・バーゼルが奪い取った形となり、アート・シーンには激震が走った。

今年の香港では、会場となった香港コンベンション・アンド・エキシビション・センター(HKCEC)に、世界42カ国から242のギャラリーが集結し、多くのコレクターが訪れて熱気に包まれていた。

韓国アーティスト MIN SHINさんと筆者 photo by Nannan

ドナルド・トランプの大統領就任以降、世界の政治経済情勢と国際秩序は怒涛のように変化し、関税政策やウクライナ戦争による間接的な影響もささやかれる中、中国のニューリッチ層の中から登場した若年層の女性コレクターたちが話題を呼んだ。そして、インフルエンサーたちによるSNSでの素早い発信にも驚かされた。

名だたる大手メディアもさることながら、個人の時代の到来を強く感じる。声高な個人の主張が、レッド・ノートやYouTube, Instagramと言ったプラットフォーム上で、怒涛のように発信されていた。

中国の旧正月の大晦日に発表されたDeepseakは、今までChat Gptで有料だった機能を無料で利用できるようにしたことで、A Iを活用した大量の類似映像や文章が瞬く間に出回った。アート・バーゼル香港についても、非常に速いスピードで大量の情報が報道された。今年のアート・バーゼル香港は、昨年を上回る数の国際来場者で活気にあふれていた。初日のVIPプレビューでは、デヴィッド・ツヴィルナーが草間彌生の作品を350万ドルで販売したほか、ミヒャエル・ボレマンス(160万ドル)、リン・チャドウイック(100万ドル)、エリザベス・ペイトン(90万ドル)など、ブルーチップ作家の高額作品が相次いで取引された。

メジャー・ギャラリーの高額取引以外にも、AIを駆使した中国人アーティスト、ルー・ヤンのバーチャルキャラクターDOKUが再び話題を呼び、AIとアートの関係性に対する現在の関心の高さがうかがえた。パブリックスペースでは、ポップなディズニーを彷彿とさせる賑やかな雰囲気の作品が目立ち、写真バエを意識した大衆迎合的な側面も感じられた。日本勢のギャラリーは、「もの派」や「GUTAI」の作品を紹介していた。吉原治良の初期の珍しい作品、嶋本昭三によるフォンタナ以前の穴開け作品、赤いあの大作などがYoshiaki Inoue Galleryに並び、YODギャラリーでは、「もの派」の原口典之による大型インスタレーションが展示されていた。

物派作家菅木志雄作品、東京画廊ブースにて

具体嶋本昭三作品、Yoshiaki Inoue Gallery ブースにて

物派原口典之インスタレーション作品、YOD ギャラリーブースにて

物派小清水漸インスタレーション作品、東京画廊ブースにて

個人的に興味深く見ていたのは、「Discoveries」セクターだ。実験的でアバンギャルドなこの区域は、高額な取引にはつながらないかもしれないが、新鮮な刺激がある。MGM大賞を受賞した韓国人作家のShin Min。彼女の作品には不思議な魅力があり、何度も足を運んだ。フェアに行くたびに惹かれて写真を撮り、作家ともギャラリースタッフとも作品について語り合った。バイトをしていたマクドナルドのハンバーグの包装紙が素材になっており、ドローイングがダンボールや使い捨ての紙の上に空間全体へと広がっていた。

上海の作家、胡項城氏の作品も注目を集めた。昨年4月にPSAで大型個展を開催し、その後、シャンアート(中国語で香格納画廊)でも個展を開催し、今回はアート・バーゼル香港に出品している。大作が会場入口でひときわ目立ち、初日に売約済みとなった。それ以外の作品もすべて完売した注目すべき作家だ。

目まぐるしく変化する国際情勢の中、A Iが凄まじいスピードで生活に浸透し始めている。その速さに抵抗するように、せめて自分の中で1カ月以上温めてから文章を書いてみる。無駄な抵抗であることは承知しつつも、ユヴァル・ハラリ博士がnexusで鳴らした警鐘に、私は耳を傾けていたい。

洪欣

東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。ダブルスクールで文化服装学院デザイン課程の修士号取得。その後パリに留学した経験を持つ。デザイナー兼現代美術家、画廊経営者、作家としてマルチに活躍。アジアを世界に発信する文化人。