アジアの眼〈85〉
戦後日本美術のパイオニア
――GUTAI第二世代の抽象作家、前川強 Tsuyoshi Maekawa

3月20日、大阪箕面市にて前川強を取材した。今年90歳になる前川は、今なお現役の作家であり、ミシンと絵の具、さらに時にはボンドも併用して制作を続けている。

1936年生まれの前川は、1955年に大阪市立工芸高等学校を卒業し、1959年にGUTAIのリーダー・吉原治良に師事。織りの粗い麻布(ドンゴロス)を用い、「ヒダ」を形作って着色するというユニークな絵画を制作した。吉原に高く評価され、1959年の第8回具体美術展に出展。その後、1963年に「具体美術協会」の会員になり、具体美術(GUTAI)第二世代の代表作家として、松谷武判・向井修二とともに、名前のイニシャルから「3M」と呼ばれた。1963年、具体ピナコテカにて初個展を開催。1966年には、同じスペースで「3M」による三人展も開催された。1972年の「具体美術協会」解散後は、ミシンで細かく縫った布(リネン)を用いた作品に移行し、1982年「現代日本絵画展」大賞をはじめ、国内で多数の賞を受賞している。また近年では、再び「ドンゴロス」に回帰し、素材の野性的自然性と洗練された造形を融合させた新たな絵画空間を探究し続けている。

photo by Acco Kobayashi

前川本人の言によると、自分はいわゆる戦中派であり、小学校3年生の頃に終戦を迎え、美術の先生に見せてもらったピカソやミロの絵を見て、「作家になってこんなカッコいい絵を描きたい」と思い、絵に夢中になっていったという。

前川は、日本国内だけではなく、パリ、ロンドン、ニューヨーク、ヴェネチア、ブリュッセルなど各地で展示会を開催してきた。また、シカゴ美術館やイギリスのテート・モダン(国立美術館)といった世界の主要な美術館にも作品が収蔵されている。

170716 1985 162.1×130.3cm Hemp cloth, cotton cloth sew (写真はアトリエ提供)

取材時に、真っ先に目に入ってきた作品がある。ファッションの形を作るギャザーのようにも見えるが、ミシンで作られたその「凹み」は、陰陽でいう東洋美学の均衡を、一度強くぶち壊そうとする静かな抵抗、あるいは対峙のようにも見えてくる。フォンタナのようにナイフで切り刻むような強さよりも、裏側から縫い付けるという「アクション」によって、丸め込む方が私には強く映る。そして、その窪みは、いったいどこに向かうのか。一度破壊された平面は、その窪みによって確実に立体化していく。そして、観る者に何かを問いかける。その問いとは、何か。観察者へと転じた人には、その裏側にある秘密の装置、あるいはアクションは見えない。だが、想像することはできる。その縫い付けは、平和な日常の中で営まれている「決断」であることを私は知っている。ミニマルな作品がもつ静謐な主張は、丁寧に縫われた形の中に、既視感と親近感を内包している。平面と立体(彫刻)の間をあくまで平面の中で共存させる「匠み」な技だ。

photo by Acco Kobayashi

波のように、ミシンを細かく形作られた作品がある。繊細で詩的なミシンの縫い目は、風のようであり、波のようでもあり、遠く離れた想いを運ぶメッセージのようにも見える。GUTAIのメンバーには、パフォーマンスを行っていた白髪一雄(泥の中で踊り、脚を使って作品を作るアクション・ペインティング)、障子破りの金山明、電気の服を着る田中敦子のような第一世代がいた。それに比べ、前川は個人的には「絵で行きたい」という思いがあったので、わりと冷たい目で見てきたところもあるが、時代的にも、アクション・ペインティングのような激しい表現は少し落ち着きを見せ始めていた。

布団針で「つまみ縫い」、つまり布をつまんでミシンで縫うと、摘んだ分の縁にどうしても余りが出るので、そこを伸ばして平面に引っ張る作業を続ける。最初は皺ができるのだが、そのうちに消えていくのが制作過程の中で楽しいことなのだろうと想像してみた。「皺を全部縁に逃してしまい、皺をなくしてしまう方法」が随分と評価され、80年代には沢山の賞をもらった。

また、別の作品では、くしゃくしゃにした布に絵の具をたっぷり載せ、ざっと混ぜたものを引っ張ると隙間ができ、意外に面白い空間が生まれてくることが楽しいのだと言う。

ちょうどボンドが登場した時代で、松谷と前川の二人はこの新素材に惹かれた。ドンゴロスにボンドを染み込ませるとすごい形になったが、当時は新素材として注目を集めていたため、そのまましばらく倉庫に入れておいた。後になって引っ張り出し、穴を開けてみたところ面白かったので、それを作品にした。

1963 230x180cm Burlap, oil on canvas (写真はアトリエ提供)

1963 228x181cm Burlap, oil on canvas(写真はアトリエ提供)

1962 180x150cm Oil on canvas(写真はアトリエ提供)

1960 162.1×130.2cm Burlap, oil on canvas (写真はアトリエ提供)

創作する過程を実験的に楽しむ前川は、楽しそうに作品を見せてくれる。制作過程を楽しんでいるのが伝わってくる。ドンゴロスを染めたりしたキャンバスは、これまで見たことのないような渋さを帯びており、センスのいい作家の生まれ持ったカッコ良さを感じることもできる。モスグリーンのドンゴロスもあり、「わーお」と声を上げそうになったが、倉庫にビニールで丁寧に整理されている作品をすべて引っ張り出すことはできず、半透明なビニール越しにそっと眺めながら、愛おしい気持ちのまま一度その場を離れた。

再び作品を見にいく約束をし、大阪を離れた。この短い時間で、70年にわたる創作活動のすべてを理解することは難しいだろう。19歳の若き前川が、緊張しながら吉原治良に作品を見せていた光景を想像してみる。そして、90歳にしてなお現役であり続けるこのクリエイターに、理想の人生の形を見た気もする。アーティストという職業には、リタイアという概念がない。描きながら死んでいったエゴン・シーレのように――。それこそが自分にとっての理想の「死の形」、あるいは「死に様」なのだと思う。やはり、アートというのは、そういう意味でも素晴らしい仕事なのだと感じさせられる。

洪欣

東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。ダブルスクールで文化服装学院デザイン課程の修士号取得。その後パリに留学した経験を持つ。デザイナー兼現代美術家、画廊経営者、作家としてマルチに活躍。アジアを世界に発信する文化人。