龍潤生 WWB株式会社 取締役CEO
「3.11東日本大震災」後の防災改革と再生可能エネルギー革命

2011年の「3.11東日本大震災」から14年。東京湾に桜の蕾がほころぶ頃、われわれはWWB株式会社を訪れた。同社の龍潤生取締役CEOは、震災当時、中国・三一重工の日本総代理店の代表として、62メートルの巨大ポンプ車を被災地に寄贈する橋渡し役を担った。この行動は日本社会に深い感銘を与え、後に日本の首相は氏を「中国からの救世主」と称え、NHKは『中国ポンプ車の奇跡』として特集した。

震災復興を経た日本で、龍氏は太陽光発電事業を展開。エネルギー転換を見据え、日本社会の変革を見つめ続けてきた。本誌は、再生可能エネルギーに挑む華人企業家・龍潤生氏の歩みを追った。

「受動的対応」から
「能動的強靭化」へ

―― 龍CEOは、「3.11東日本大震災」を経験し、企業家として震災復興にも携わってこられました。この10数年間で、日本の防災対策はどのように進化したとお考えですか。

龍潤生 「3.11東日本大震災」は、日本に大きな教訓をもたらし、防災システムの脆弱性を露呈させましたが、同時に大きな変革を促しました。その進化は三つに集約されます。

第一に、原発の安全基準を強化しました。福島第一原発事故を教訓に耐震基準を見直し、「千年に一度の津波」に耐えうる防潮堤のかさ上げを義務化しました。緊急電源や冷却システムも増強し、福島第一原発周辺337㎢はいまだ立ち入り禁止区域とされ、廃炉作業は2051年まで続く見通しです。

第二に、建物とインフラを強靭化しました。建築基準法を改正し、新築の耐震基準を「免震」へ強化しました。古い建物の補強が進み、防潮堤の整備率は100%に達しました。仙台空港はかさ上げ工事を実施し、浸水リスクを低減しました。

第三に、国民の防災意識を向上させました。政府は「国土強靭化」政策を推進し、防災の在り方を「公助」から「自助+共助」へ転換しました。東京ディズニーリゾートでは毎年防災訓練を行い、家庭では防災グッズや避難アプリの普及が進みました。こうした「自助+共助」の防災モデルにより、日本の防災力は大きく向上しました。

 

 

「原発依存」から
「太陽光エネルギー」へ

―― 「3.11東日本大震災」の後、日本はどのようにしてエネルギー危機に対応し、再生可能エネルギーの導入を進めたのでしょうか。

龍潤生 この震災は、日本のエネルギー政策を大きく転換させました。震災後、国内の原発54基が一時停止し、東京電力管内では405万世帯が停電しました。「電力不足の恐怖」が広がる中、政府は代替エネルギーの導入を迫られ、太陽光発電が注目されました。

2012年、日本政府は「固定価格買取制度(FIT)」を導入し、1キロワット時42円で民間の太陽光発電を奨励しました。これを機に、日本の太陽光発電設備容量は2011年の5GWから20年に70GWへと急増し、世界第3位に躍進しました。当社もこの追い風を受け、太陽光パネルの製造コストを1ワット300円から10円へと削減しました。技術革新のスピードは予想を超えています。

 

―― 大幅なコストカットは、中国の産業競争力と関係していますか。

龍潤生 もちろんです。世界の太陽光発電産業は「日本の研究開発→中国の量産化→東南アジアへの展開」という流れで発展しました。2000年代、日本企業が技術を独占していましたが、中国は大量生産で圧倒的なコスト競争力を獲得。現在、世界の太陽光パネルの80%を中国が生産し、日本はハイテク技術へ移行しました。最近はペロブスカイト太陽電池の開発を強化しています。

また、日本は蓄電池分野で巻き返しを図りました。太陽光発電は天候に左右されるため、水素エネルギーや蓄電池の開発を推進。例えば、東芝の水素エネルギーシステムは福島の被災地で活用され、2024年には新築住宅の家庭用蓄電池普及率が30%を超えました。

東南アジアにおける
再エネ協力モデル

―― 御社は「地域運命共同体」の理念の下、ベトナムやラオスに再生可能エネルギー技術を提供されていますが、具体的にどのような協力を行っていますか。

龍潤生 ベトナムでは、原発建設が計画されましたが、コストや安全性の問題で棚上げされました。そこで、ベトナム政府と協力し、メコンデルタで「漁光互恵」プロジェクトを展開しました。養魚池の上に太陽光パネルを設置し、養殖に影響を与えず発電を可能にしました。この方式により、漁業従事者の収入が倍増し、石炭火力への依存が減りました。

ラオスでは「東南アジア電力網」計画に参画し、太陽光発電でタイやマレーシアに電力を供給しました。山が多く日照条件に恵まれ、電力輸出がGDPの15%を占めました。

 

―― 中米貿易摩擦は、御社のビジネス展開に影響を与えていますか。

龍潤生 人件費削減のために設立したベトナム工場が、結果的に米国の関税措置を回避する形となりました。昨年、米国が中国製太陽光パネルの関税を引き上げた一方、「ベトナム製」は引き続き無税で欧米市場へ輸出可能です。サプライチェーンのグローバル分散は、再生可能エネルギー時代の「リスクヘッジ」の好例と言えるでしょう。

 

災害、機会、
人類共生のための処方箋

―― 「3.11東日本大震災」から14年が経過しました。この災害は世界にどのような教訓をもたらしたとお考えですか。

龍潤生 震災は文明の脆弱さを浮き彫りにし、革新を促しました。日本は「原発大国」から「太陽光エネルギー先進国」へ転換し、中国は製造業の強みを活かして産業チェーンを主導しました。東南アジアは地域協力によるエネルギー自立を進めました。これこそ「地域運命共同体」の実践例です。

今後、再生可能エネルギーの競争は蓄電技術とスマートグリッドが焦点となります。日本は水素エネルギー、中国はリチウム電池、ヨーロッパは風力発電で強みを発揮するでしょう。相互協力こそ「カーボンニュートラル」実現の鍵であり、福島原発の処理水放出をめぐる論争が示すように、エネルギー問題に国境はありません。協力こそが未来への希望を生むのです。

取材後記

龍潤生氏の歩みは、「3.11東日本大震災」後の在日華人企業家のモデルの一つと言える。彼らは災害を技術革新の契機と捉え、再生可能エネルギーを通じて人と自然の関係を再定義してきた。その理念は、龍氏の言葉に集約される。――「太陽光発電事業は、単なるビジネスではなく、地球を救う事業なのです」。