水戸學再検討の時代(3)――その幕末編――
怒涛の幕末、維新の夜明け前

幕末、欧米列強の脅威が迫り、日本を取り巻く情勢が緊迫する中で、水戸學本来の「水戸のこころ」もより先鋭化して行ったことも事実である。水戸の学問が示したことは、『水戸学の道統』(名越時正著)によれば、①日本国の古今を貫く真実の姿、②世界情勢を洞察し、日本のおかれた立場を把握したこと、③内外情勢に鑑み、日本の進むべき道を見出し、日本人のなすべき道を示したこと――とある。

このことからも『大日本史』編纂という大事業が、「水戸のこころ」を培い、幕末の激動期に水戸學が先駆的役割を担うことになったことは明らかである。

『大日本史』

『大日本史』の編纂によって日本の歴史の真実を理解し、会澤正志斎の『新論』によって国際情勢を分析・把握し、藤田東湖の『正気の歌』によって日本人が何をなすべきかを確信したのである。

そして第九代藩主・徳川斉昭の指示で藤田東湖が著した『弘道館記』及び述義が、国を憂い、日本の正しい思想を明快に説いたのである。その核心は、「日本の道」のことである。

ここに光圀と朱舜水が求めた歴史の真髄があり、それを継承した安積澹泊の努力が二百年以上の時を経て、藤田幽谷によって再び魂が入り、その思想が日本国の未曽有の危機の時に開花したのである。

安積澹泊

これら改革の基盤を作ったのは徳川斉昭(烈公)である。斉昭について勝海舟は「これほど毀誉褒貶相半ばする人物は多くない」と言い、司馬遼太郎は「幕末には天下の志士たちから敬慕され、ほとんど神格化されたことを、“時勢の異常さが生んだ幻覚の一つ”」と断じているが、斉昭が成し遂げた藩政改革は幕府の幕政改革の範となる程の偉業であった。

斉昭の藩政改革は、節約の励行、奢侈の禁止による財政立て直し、飢餓に救済や検地の断行による農村救済、武道の振興、士風の粛清、武器の製造演練や海防築造による防衛体制整備、学校の建設、学問奨励による人材育成、北海道の開拓、神道の復興など優れた見識による大事業を推進した。

このことにより藩内の堕落と停滞は一掃され、道義に基づく清新な気運がみなぎり、天下の有志が競って水戸に学び、全国の注目を集めたのである。とりわけ藩校・弘道館の創設は「神儒一致の思想」のもと、孔子廟と鹿島神宮の分霊が祀られ、医学・医療の充実を含めた規模、内容とも全国最大規模を誇ったのである。

徳川斉昭

尊王攘夷を思想とする水戸學は、会澤正志斎の『新論』で理論づけられ、藤田東湖の『弘道館述義』『正気の歌』によって全国の志士を鼓舞し、倒幕運動を活性化させた。1853年(嘉永6年)ペリーの浦賀来航から日米和親条約、日米修好通商条約を契機に安政の大獄へと一気に時代の針が進み、橋本左内、吉田松陰ら勤王志士が死罪となり、桜田門外の変、天狗党の乱、そして大政奉還により維新の夜が明けたのである。しかし、この間に既に藤田東湖や徳川斉昭、会澤正志斎はこの世になく、明治新政府が発足した時には、高杉晋作はじめ多くの尊攘志士は夜明けを迎えることは出来なかったのである。

水戸藩もまた“戌午の勅書”をめぐり、尊攘派が激派と鎮派に分裂し、幾多の人材を失っていた。しかし、光圀の遺志を継ぎ脈々と大日本史編纂に取り組んできた150年後に藤田幽谷という偉大な学者が現れ、その深い憂国の念に基づく改革の思いの指導原理や具体的な政治、経済、外交、国防までの具体策を記述したのが、幽谷の弟子会澤正志斎の『新論』である。

藤田東湖

この『新論』で正志斎は恩師の教えである日本改革の構想を記述している。膨大な論文であるが、第一の「国体編」では、わが国の精神を明らかにし、国家の独立と発展を守り、民を重んじ民生の安定について詳述し、革新の根本問題を示している。第二の「形勢篇」では、急変しつつある世界情勢を論じ、第三の「虜情編」では、西洋の侵略的勢いが我が国に接近し、独立さえも危機に陥っていることを警告し、第四の「守禦編」では、この危機を打開するための富国強兵の具体策を説き、最後の「長計篇」では永久不変の理想を論ずるとともに改革実現の方策を述べている。

正志斎は、「長計編」で「主客の勢いを察して操縦の権を制すべき」と論じているが、この操縦の権を制するとは、国家の目標を一定し、人々の志を一つにする道を説いたのであり、『新論』の眼目である。水戸の尊攘派が、天下を憂うる志士たちの心を一つに結び、各藩、各学派が小異を捨てて大同につかせるものはこの普遍不朽の原理であったのだ。

また正志斎は「英雄の事を挙ぐるや、必ず先ず天下を大観し、万世を通視し、而して一定不易の長策を立つ」と説いている。この正志斎の確信が、明治維新の大業を招来させた力の偉大さであることを再考しなければならない。

「脱亜入欧」「西洋化」の気運の下で、性急に走り過ぎた明治維新以後の156年間は果たして日本の歴史にとって何であったのか。今こそ『水戸學』再検討の時代である。

岡野龍太郎

1947(昭和22)年長崎市生まれ、水戸市出身。中央大学卒。時事通信ニューヨーク特派員、衆議院政策担当秘書、経済産業大臣政務秘書官などを経て中国・青島大学名誉研究員。現在、森田塾を承継した岡野龍太郎塾代表。代表作『反骨の系譜――常陸国政治風土記物語―』(論創社)