五臓六腑という言葉は広く知られているが、もう一つの生命にとって重要な「見えない臓器」に対する認識はあまり進んでいない。その臓器とは、厚さわずか2センチの膵臓である。膵がんは、がんの中でも最も発見が難しいとされる疾患である。統計によれば、2005年から2015年にかけて中国における膵がんの発症率は年平均2.78%増加し、死亡率も年平均2.24%増加している。この発症率と死亡率の高さから、膵がんの診断は「死刑宣告」に等しいと恐れられている状況である。しかし、本当に膵がん患者に救いの手はないのだろうか。
この度、われわれは日本で膵がん手術の最多件数を誇る大学病院、東京医科大学病院を訪問した。同院の消化器内科および消化器外科は、膵臓や胆道疾患の治療において日本国内でトップレベルであり、世界的にも有数の診療科である。同院の消化器内科主任教授である糸井隆夫氏は、消化器内視鏡治療の分野において世界をリードする存在である。糸井氏は膵がんの攻略に向けてどのようにチームを率い、革新的な技術で患者の生存率向上に寄与してきたのだろうか。
―― 糸井先生は、膵臓、胆道、肝臓疾患の治療、とりわけ内視鏡治療の分野において、卓越した貢献をされておられます。複雑で困難な症例にも果敢に挑み、革新的な低侵襲治療を実現され、その実績は医療の進展に大きく寄与するとともに、多くの患者に新たな希望を届けておられます。これまで取り組まれた代表的な症例や、注目すべき研究成果について、お聞かせいただけますか。
糸井 膵臓や胆道疾患の治療は、長らく非常に難しい領域とされてきましたが、2000年頃から内視鏡治療技術が急速に進化を遂げています。東京医科大学のチームとして、また私個人としても、こうした技術革新に対応するだけでなく、この分野で新たな治療法の開発にも積極的に取り組んでまいりました。
例えば、癌により完全に分断された胆管の両端に内視鏡を用いて磁石を埋め込み、磁力で胆管を再開通させる内視鏡的「磁石吻合術」を世界で初めて実施しました。この技術は従来の治療法では対応が難しかった症例にも適用でき、世界中で多くの患者さんに大きな希望をもたらしています。
また、治療が複雑な胆石や難治性疾患においても、一連の低侵襲治療法を開発しました。特に、従来の手術が困難となり治療継続が難しい患者さんに対しては、内視鏡技術を駆使し、胃から肝臓へのショートカットの新しいルートを作成することで、直接結石の位置に到達して粉砕・排出する方法を確立しました。この技術は外科手術に代わる画期的な治療法として注目されています。
私たちは単に治療法を患者さんに提供するだけでなく、臨床研究や技術普及を通じて、トレーニング、治療の標準化、さらにはエビデンスの構築などに力を注いでいます。こうした取り組みを基盤に、国内外におけるこれらの技術の更なる普及と発展を目指して活動を続けています。
―― 東京医科大学膵臓・胆道疾病センターは、日本における肝・胆・膵疾患治療の「最後の砦」として、多くの医療機関で治療が困難とされた患者さんを受け入れておられます。先生は、なぜ「がんの王様」とも称され、5年生存率が最も低いとされる膵がんという難しい分野に挑まれているのでしょうか。
糸井 いい質問ですね(笑)。多くの人が取り組んでいる領域には、すでに十分な研究や治療法が確立されています。一方で、膵がんや胆道がんのような難治性がん、特に「暗黒の臓器」と呼ばれる膵臓のがんに対しては、まだ多くの課題が残されています。私は、この難しい領域をなんとか克服したいという強い思いから、この分野に取り組むことを決意しました。それには新たなアイデアや技術、そしてそれを実行する力が必要だと考えています。
現在、膵がんの治療は大きく二つに分けられます。一つ目は、腫瘍そのものを標的とする抗がん治療です。以前は効果的な薬剤が不足していたため、膵がん患者の多くが緩和ケアに留まっていました。しかし近年、フォルフィリノックスやゲムシタビン・ナブパクリタキセル併用療法など、治癒効果の高い抗がん剤が登場し、予後が大きく改善されています。さらに、免疫チェックポイント阻害薬をはじめとする二次治療を組み合わせることで、手術ができない患者さんの生存率も着実に向上しています。
二つ目は、がんに付随して起こる黄疸、痛み、十二指腸狭窄などの症状に対する副次的な治療です。金属ステントや超音波内視鏡を用いることで、患者さんの生活の質を大きく改善することが可能となりました。
われわれ東京医科大学膵臓・胆道疾病センターでは、内科と外科が一体となったチーム医療を実践し、5mm程度の小さながんでも診断が可能な高度な技術を提供しています。早期診断により迅速な手術を行うことで、患者さんの生存率を向上させています。また、進行がん患者に対しては、抗がん剤による腫瘍縮小を目指し、手術不可能だった症例を手術可能な状態に転換するなど、多様な治療選択肢を患者さんに提供しています。このように、一人ひとりの患者さんに最適な治療を届けることを目標に日々取り組んでいます。
―― 先生は国際医療交流、特に中日医療交流において豊富な経験をお持ちでいらっしゃいます。先生の医療関連書籍は中国でも高い人気を誇り、業界内で高い評価を得ており、多くの専門家の学習や研究に大きく寄与されています。
糸井 私が初めて中国を訪れたのは1994年のことでした。当時の中国の医療環境は、日本の昭和30年代のレベルに相当していました。しかし、その後わずか10年ほどで、中国の医療技術、特に内視鏡治療の分野では目覚ましい進歩を遂げています。全体的な医療レベルでは依然として日本が主導的な立場にありますが、復旦大学附属中山病院内視鏡センターの周平紅主任のように、国際基準に達している、あるいはそれを上回る技術を持つ中国人医師もいらっしゃいます。
これまでに数十回にわたって中国を訪問しており、技術トレーニングや治療法、戦略に関する講義を行うだけでなく、ライブで現地の患者さんを治療する機会もありました。その際、私は単に技術を教えるだけでなく、診断や治療に対する総合的なアプローチを伝える必要性を強く感じています。中国の若手医師には、個々の高い技術力を磨くだけでなく、チームとして協力しながら治療に当たる体制を築くことにも注力してほしいと願っています。
そして、このような国際交流を通じて、双方の医療レベルの向上に貢献できればと思っています。
―― 先生は「世界の糸井」とも呼ばれ、世界各地から患者さんが訪れています。中国の患者さんで印象に残った治療事例はありますか。
糸井 正直なところ、印象深い事例は数え切れないほどありますが、中でも忘れられないのは膵がん患者さんのケースです。この方は中国国内の複数の病院で「外科的治療は不可能」と治療を断られ、最終的に当院を訪れました。化学療法を行った結果、腫瘍が効果的に縮小し、重要な血管からがんが離れたことで手術が可能となりました。現在では、4年近く普通の生活を送られています。根治の目安とされる5年生存を間もなく迎えようとしており、これは患者さんにとっても、私たちチームにとっても大変意義深い出来事です。
また、末期がんで余命1カ月以内と宣告された患者さんのケースも忘れることができません。内視鏡治療を含む包括的な治療を行った結果、余命を6カ月に延ばし、痛みを感じることなく穏やかな最期を迎えられました。この患者さんも、私たちにとって非常に印象的な存在です。
一部の医療機関では、治療が難しい患者さんを受け入れない場合もあると聞きますが、私たちはどれほど困難なケースであっても、患者さんを救う可能性がある限り最善を尽くします。医師は患者さんを自分の家族のように考え、すべての患者さんに最高水準の治療を提供するべきだと強く信じています。
―― 医療技術の研究開発や国際協力、医療教育において、先生が目指す次なる目標は何ですか。また、グローバル化が進む中で、医療分野における解決すべき課題とはどのようなものでしょうか。
糸井 今後、医療の均てん化を実現することが重要な目標になると考えています。日本国内のみならず、世界的にも医療資源は偏在しており、地域によって患者が受けられる医療の質に大きな差があります。患者がどこにいても同じレベルの医療サービスを受けられるよう、国際医療センターのような国際的な病院を設立し、技術の輸出や知識の共有を効率化する仕組みを整えたいと思っています。また、先進医療技術を普及させると同時に、新しい技術や治療法の研究・発表が行える医療環境を築きたいと考えています。
医療に国境はありません。私の仕事はまだ道半ばですが、これからもこの目標に向けて全力で取り組んでいきたいと思います。(撮影/張桐)
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