国際情勢が地球規模で緊迫し激変している。数百年に一度の大激震である。大航海時代に始まるヨーロッパによるアジア、南米、アフリカの植民地化、そして昨今のグローバリズムに至る世界の支配構造が音を立てて崩れ始めているのである。ハンチントンの『文明の衝突』とトランプ再登場のもたらした衝撃は計り知れない。産業革命以降260年余に及ぶ国際金融資本による支配の実態が白日の下に晒されたとも言える。
このような内外情勢の大激変により、日本社会も未曽有の危機を迎えている。振り返れば、徳川時代260年の安定した平和な時代が黒船によって激震に見舞われた幕末以来最大の危機に匹敵すると言える。先の大戦から80年、今こそ、「水戸学再考の時代」である。
昭和14年6月、水戸の三ノ丸講堂で「水戸學再検討」と題して講演した言論界の重鎮の徳富蘇峰は、「水戸學は過去の学問ではない。現在の学問である。併せて将来の学問である」と、明治維新以降、水戸學の「尊攘思想」が変容したことに警鐘を鳴らしている。得てして、桜田門外の変、天狗党の乱、果ては「5・15」、「2・26」と水戸學は激しい暗殺の系譜の思想と見られがちであるが、そもそも水戸學とは全国の人々から言われた呼称である。水戸では、古来「日本のこころ」とか「水戸の精神」と言われていた水戸の思想のことである。
水戸學と言えば、徳川斉昭、藤田東湖、会澤正志斎が著名であり、吉田松陰、橋本左内、高杉晋作、西郷隆盛などが水戸に学び、水戸學に傾倒した幕末の勤王志士は枚挙にいとまがない。しかし、水戸學の源流は、桜田門外の変から200年以上遡らなければならない。
水戸學の源流は、1906年(明治39年)に完成した「大日本史」編纂開始に始まるのである。明が滅亡して長崎に亡命していた明の儒学者・朱舜水を、徳川光圀が三顧の礼で水戸藩に招聘したが、この朱舜水の助言で、明暦3年(1657)に光圀が『大日本史』の編纂を指示したのである。元々、多くの中国の古典、儒教を学んでいた光圀は朱舜水から実学としての儒教を学び、多くの助言を得ていたのである。
水道橋の日中友好会館に隣接する小石川後楽園は、徳川水戸藩の上屋敷であったが、廻遊様式庭園の「大名庭」であり、円月橋など朱舜水の土木・造園技術による実学の思想が随所に活かされている。
光圀に朱舜水を推挙したのは、光圀の伯父に当たる尾張藩初代藩主の徳川義直と伝わる。義直は徳川家康の九男であり、光圀の父、水戸藩初代藩主の徳川頼房は十一男である。義直は儒教をよく学び、孔子廟を建て、明の文人・陶芸家の陳元贇を尾張藩に招き、国際情勢のみならず作陶、習字などを学んでいた。
ちなみに司馬遼太郎さんによると、「水戸藩は御三家ではない。御三家とは、徳川宗家、尾張、紀州のことであり、水戸藩はその上に位置するご意見番であり、その証左に水戸藩邸はもともと二の丸に在った」と言う。光圀が「生類憐みの令」で将軍綱吉を、斉昭が「日米修好通商条約」で井伊直弼を諫めたことは、水戸藩の役目を果たしたに過ぎない。
さて水戸学の源流となる思想とは何か。それは「仁」と「徳」に尽きる。
光圀18歳の時に、「中国の歴史の父」と言われた中国前漢の歴史家の司馬遷(紀元前145~87年)の『史記』の「伯夷列伝」に感動し、さらに「菜根譚」を著わした中国の隠遁詩人とうたわれた陶淵明の『五柳先生伝』に深く胸を打たれ、自ら『梅里先生碑文』を生前に建立している。
陶淵明は、南山の麓で悠然と鋤を取った田園詩人であり、「自祭文」や「「帰去来」で知られる。陶淵明が生まれた尋陽都柴桑県栗里には、後世、唐の時代に白楽天、宋の時代に哲学者朱熹(朱子)が訪れて陶淵明を忍び、中国古典の聖地になっている。
又、孔子が『論語』の泰伯編で、権力にこだわらず国家の繁栄を第一とする泰伯の態度を「泰伯はそれ至極と謂う可きなり」と称賛した泰伯にも影響を受けている。泰伯は、紀元前12世紀から11世紀の人物で、呉の國の始祖とされる。
水戸の北の光圀の隠居所「西山荘」は、伯夷伝にちなむ西山(首陽山)から命名し、陶淵明の隠居所に習い五本の柳を植えている。そこに建つ『梅里先生碑文』には、光圀が説いた人生の極致のことが書いてある。それは近隣農民と語らいあい、酒があれば飲みかわし、友遠方より来れば酒を飲み、月をめで語らいあい、気が向いたら書物を読み、内容が分からければそれでよい、とする至極の人生観であり、「徳」と「仁」こそが人間の最高善とするものである。
中国古典、儒教から学ぶ人類の叡智は無限である。このような光圀の哲理が、幕末の危機に際して開花したのが『尊王攘夷』とされる国体のことであり、その尊攘思想が日本人の心を一つにしたことで、欧米列強の日本侵略を防いだことは間違いない。(つづく)
岡野龍太郎
1947(昭和22)年長崎市生まれ、水戸市出身。中央大学卒。時事通信ニューヨーク特派員、衆議院政策担当秘書、経済産業大臣政務秘書官などを経て中国・青島大学名誉研究員。現在、森田塾を承継した岡野龍太郎塾代表。代表作『反骨の系譜――常陸国政治風土記物語―』(論創社)
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