中国銘茶探訪(2)
熟成祁門安茶

 

2024年10月20日、筆者は祁門県政府および祁門安茶のリーディングカンパニーである祥源茶業有限責任公司からの招きを受け、安徽省黄山市祁門県で開催された祁門安茶夜露祭・祥源安茶工場キックオフイベントに出席した。本稿では、産地で得た見聞と資料をもとに、お茶愛好家の皆さんと共に、神秘的で希少な祁門安茶について考察してみたい。

祁門安茶は雲南のプーアル茶と同じく、後発酵黒茶に分類される。祁門安茶がもてはやされた広東の茶館には「上階で安茶を飲み、階下でプーアル茶を飲む」という諺言があった。階下では、庶民が良質で廉価なプーアル茶を飲み、上階に設けられた個室では、高官たちが祁門安茶を所望して飲んだ。このことからも、祁門安茶が歴史ある銘茶であり、国茶の逸品であることがうかがえる。

ところが、これほどの銘茶も時代の荒波には抗えなかった。1937年に抗日戦争が勃発し戦火が広がると、交通が遮断され、祁門安茶は生産しても出荷することができず、生産停止を余儀なくされ、その後50年近く生産されることはなかった。今日、多くのお茶愛好家が祁門安茶を知らないのも当然である。祁門安茶は、半世紀近く業界から姿を消していたのである。

1984年、安徽省茶葉公司に一通の手紙と古茶の入った籠が届いた。ここから祁門安茶の運命は好転する。手紙の差出人は、香港同胞で、華僑茶業発展研究基金会の発起人である関奮発氏であった。氏は、熟成祁門安茶を添えて、安徽で安茶の生産を再開するよう呼びかけていた。

関奮発氏のような年配のお茶愛好家の頭から離れない祁門安茶の魅力とは一体何であろうか? それは、その味わいと効能である。祁門県は、世界的にも有名な「キーマン紅茶」の産地である。この地の気候と茶樹の品種は、完全発酵茶である紅茶と後発酵の黒茶の製造に特に適している。この地は、祁門安茶にとって最高の気候条件と地理環境を満たしており、味わいについては申し分ない。しかし、祁門安茶が広東・広西地域や広東沿海地域で愛される理由は、それだけではない。祁門安茶には、薬用として重宝されてきた歴史がある。

広東・広西地域や広東沿海地域では、多くの老医師が、少量の安茶を薬引として処方していた。嶺南地域では、暑気払い、湿気払いの漢方飲料をつくる際、必ず安茶を加えた。例えば、「王老吉」の健康ソフトドリンクが看板商品になったのは、厳選された熟成安茶をふんだんに使用しているためだと言われる。多くの華僑の家庭では、緊急時に備えて、状態の良いものは多めに、標準的なものは少なめに、熟成安茶を常備している。関氏から送られてきた古茶も、こうした理由で大切に保存されていたものであった。

笹の葉を使用する祁門安茶の包装プロセス

祁門安茶の優れた薬効は、この地の中医文化と関係している。祁門は多くの名医を輩出しているが、祁門県の県城・朴墅出身の汪機は、母親が長患いをしていたため、官吏になる夢を断念し、父親について医学を学び、研鑽に励んで医術を磨き、新安医学の礎を築いた。『明史·李時珍伝』には、呉県の張頤、杞県の李可大、常熟の繆希雍らの名医と共に名を連ね、「いずれも医術に秀でている」との記述がある。明代においては、徐春圃が大きな功績を残している。徐春圃は中国および世界初の医学学術団体である「一体堂宅仁医会」を創設し、中国医学史に残る「十大医学全書」のひとつである巨著「古今医統大全」を著した。新安医学発祥の地として祁門は多くの名医を輩出し、宮廷医だけでも19名を擁し、「中国御医第一県」と称される。

こうした環境の下で、医学に対する濃厚な気風が育まれ、祁門の茶人たちは薬剤を炮製するが如くに、安茶の製造に取り組んだ。周知のように、正統の祁門安茶は茶葉を竹を細く割って編んだ籠に広げるのであるが、その際、必ず笹の葉を敷く。衣食同源の中医学において、笹の葉は解熱の効能が高いとされている。笹の葉を茶葉と一緒に乾燥・熟成させることによって、笹の葉に含まれる有効成分がゆっくりと茶葉に浸透する。味わいと効能を高めるため、古くからの愛好家は祁門安茶を楽しむ際、笹の葉をひとちぎり入れることがある。

祁門安茶の重要な製造工程のひとつに、神秘的な「夜露」がある。春の毛茶(製茶して乾燥させただけの未焙煎の茶葉)は、一旦倉庫で保管され、秋の白露の節季の晴天の日に夜露の工程に取り掛かる。日中は乾燥茶を高温で焙煎し、毛茶の水分量を2%前後まで下げて、手揉みをする。日没後、戸外で竹スノコの上に焙煎した乾燥茶を均等に広げる。祁門では、この節季の間、山間部で露が多く降りるため、この天然の露を利用して茶葉を湿らせるのである。夜間は一睡もせず、茶葉に均等に露が当たるように数時間おきに攪拌し、翌朝、日が昇る前にすべての茶葉を手早く回収して倉庫に納める。これが「夜露」と呼ばれる祁門安茶独自の工程である。

安徽省茶業協会副会長の孫希傑氏と奇門安茶の無形継承者である徐乾氏に同行して夜露工芸を訪問

「夜露」は、他の黒茶の製造工程における渥堆、焗堆、潤水と通じるものがある。湿り気を帯びた毛葉はわずかに発酵し、お茶にまろやかな風味をもたらす。中医学に精通する者は、夜露の工程を経た毛茶のみを用い、井戸水や川の水、水道水で加湿したものを用いることはない。中医学において、露は「無根之水」(地上に落ちていない雨水)と呼ばれ、清浄無比で体を整える効能を有する。こうして製造された祁門安茶を、さらに何年もかけて丁寧に熟成させると、良薬にも匹敵する効能を引き出すことができる。

祁門安茶は製造した年に飲むのもよいが、熟成させるほど香りが増す。筆者は2014年の祁門安茶を所蔵しているが、お茶を淹れる際には、急須には通常110ml程度の紫砂壺か欽州陶を使用し、約8gの茶葉を入れる。熱湯で急須を温めて茶葉を投入すると、熟成された濃厚な香りが鼻腔をくすぐり、香りは甘くフルーティーで、芳醇かつ上品な味わいがある。

鈞窯磁器茶壷で熟成祁門安茶を淹れる

一煎目は熱湯を注いで20秒間蒸らす。濃厚な香りが立ち上がり、甘みが広がる。二煎目も20秒間蒸らす。甘みが増し、味わいは芳醇になる。一煎目は香りが際立ち、二煎目からは胃腸にはたらく。三煎目は少し長く、25秒間蒸らす。すると、熟成安茶は完全に目覚める。薬効が抽出され、甘みがより増す。四煎目も25秒間蒸らす。風味が色褪せることはなく、爽やかではっきりとした味わいがある。茶葉をさらに10年熟成させれば、風味はより濃厚になるに違いない。しかし、そんな貴重な熟成安茶が、10年後まで残っている保証はない。今年の分も、残りわずかになってしまったようだ。