ソウルで雨の降る初秋、単色派の巨匠である崔明永Choi, Myoung-Young氏を取材してきた。
崔氏は1941年、黄海道のHaejuで生まれ、弘益大学大学院で絵画科を修了するが、それ以前は仁川師範學校で学んだ。6.25戦争の影響で、少年時代は群山、龍仁、仁川など各地を転々としたという。仁川師範學校時代には鄭相和先生に師事し、1960年に弘益大学に進学。学部時代と大学院時代に韓默、李鳳商、李揆祥、金煥基教授らから実技指導を受け、李慶成、崔淳雨、趙要翰たちに美術史を学び、そして李箕永先生の仏教哲学を受講し、指導を受けた。特に、李揆祥、金煥基キム・ファンギの影響を強く受け、アーティストとしての目標となった。
1964年の卒業後、1969年まで若手アーティストのグループ「Origin」を結成し、その間、1967年にパリ青年ビエンナーレに出品し、1969年にはサンパウロビエンナーレに出展するなど国内外で頭角を表し始めた。当時アンフォルメルの影響もあり、幾何学的な作品作りに没頭していた。1970年代初めには、「A .G」というアバンギャルドグループを結成し、実験美術やエコールドソウルといった美術運動に参加しながら、70年代の単色画の発展に寄与した。1975年頃から描き始めた「平面条件」と題する作品は半世紀にわたって続いている。1976年にはフランスのカンヌ国際絵画展で韓国のコミッショナーを務め、80年代には韓国美術協会国際部理事長(1983-1986年)、韓国美術展運営委員及び審査委員を歴任した。
教育者としても母校の弘益大学で1975年から2007年まで教授を務め、1990年から1991年にはイギリスのオールバハンプトン大学で交換教授として教壇に立った。また、1998年から2000年には弘益大学美術大学院長を務め、現在は同大学の名誉教授になっている。
弘益大学の2年生の時に、絵画の二次元におけるリアリティに疑問を抱いたことからさまざまな試行錯誤が始まった。1963年にオリジン(Origin Painting Association)の創立展に出品した「悟り」で、平面作品の実験が始まり、在学当初から李揆祥の「平面に対する作家意思の重要性」や、金煥基の「作業に臨む持続的修行姿勢による教訓的指摘」が大きな影響を与えた。
1975年から半世紀に亘って続く「平面条件」という名の作品群の変遷を辿ってみる。
初期の1970年代における「平面条件」は、絵の具をキャンバスに乗せ、それをローラーで繰り返し伸ばす作業が特徴だった。絵の具は単色だが、ローラーによる反復の動きでキャンバスの周辺に自然な蓄積が生まれる。作われる色は白というかオフホワイト、ブルー、黒といった単色で、これらの色がキャンバスの上で「平面条件」を作っていく。縦横にローラーを動かして絵の具を何度も「伸ばす」この作業は、10回以上繰り返され、静かで落ち着いた静止画を生み出す。1980年には銀座の村松画廊で個展が開催され、100cm×60cmの長方形のキャンバスに描かれた「平面条件」12点が展示された。
1970年代後半には「等式」というタイトルの作品群が登場する。数学の関係式から着想を得たこれらの作品は、「二つの異なる事実が緊密に繋がり、根本的な意味や重要性では等しい」ことを示している。崔氏は2019年のザ・ページギャラリーで開催された個展の図録で「僕の精神領域を通過した一つの世界としての平面構造」と語っている。
1980年代には、「平面条件」は紙に絵の具を浸透させ、裏側から「錐(キリ)」を使って画面全体に穴を開けるという作業が行われた。錐によってできた小さな凸が画面に「存在感」を与え、絵の具という素材と下地との間に新たな関係性が生み出されたようにも見える。均等に裏側から差し込まれた凹と凸、それは道具を介して「身体性」が紙面に現れ、同時に「精神性」をも宿す瞬間を作り出している。
1980年代後半になると、崔氏はキャンバス全体を黒い絵の具で塗り潰し、その上に白い絵の具で垂直と水平に反復して描くようになる。この単純な塗り潰しの反復作業は、まるで命の輪廻を思わせ、修行僧の苦行にも似ている。近作の「平面条件」に見られる、素地を極限まで抑えた修行的な反復は、絶対的な「無為」の極致であり、「無為」は「無我」に繋がり、自意識の喪失、すなわち荘子が説く「吾喪我」の精神がそこに宿っている。
評論家のキム・ヨンデは、「その塗り潰す過程で新たな形式が生み出され、われわれは視覚的な先入観を再調整させられる。反復する制作過程で見られる『それ以上何もしない単純性』は衝撃的であり、修行のようなそのプロセスが画面に命を吹き込み、余計な装飾を一切省き、『身体性』を通じてその独自のシンプルさと独創性を生み出している」と評している。
崔氏の作品における垂直と水平の反復する線は、垂直が歴史を意味し、水平は現世あるいは現実を表すという。つまり、無中心の全面均質(特定の中心が存在せず、画面全体が均質で一貫した状態)な表現は、指紋による塗り潰しや筆による作業でも見られる崔氏の極限的なアクション(手法)だと言える。
1984年から85年に銀座の東京画廊で開催された「ヒューマン・ドキューメンツ」展では、榎倉康二、関根伸夫、成田克彦、吉田克郎らとともに、韓国から唯一、崔氏が作品を出品している。
現在、東京画廊で8月24日から開催されている個展では、1976年のローラーによる「平面条件」から近作の「平面条件」までが網羅されている。
崔氏の作品には鎌倉時代の鴨長明(1155-1216)の世界観が感じられ、「平面条件」という名の絵画実験は、自我を忘れる(自意識を喪失する)喜びや美しさは瞬間的で儚いが、永遠に続く「忘我」のアートなのかもしれない。
韓国の評論家、李逸(リ・イル)が評したように、崔氏の絵画世界は、「中立性」あるいは「中立化」が保証されており、物質を超越し、無限の空間を内包し、「内在律」が深く潜んでいる。そしてそこに東洋的哲学が息づいている。
洪欣
東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。ダブルスクールで文化服装学院デザイン課程の修士号取得。その後パリに留学した経験を持つ。デザイナー兼現代美術家、画廊経営者、作家としてマルチに活躍。アジアを世界に発信する文化人。
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