アジアの眼〈77〉
パリ生まれでニューヨークで花開いた80歳のダンサー
――NYキャッツキルで一人自在なミシェル・サンダース

ニューヨークのハドソン河沿いのキャッツキルという街でミシェル・サンダースの自宅アトリエを訪ねて取材してきた。真夏の陽射しがとても眩しい日、彼女のガーデンで私たちは果物をかじりながら自然体で話を聞いた。

アトリエ提供

朝から地元の新たなアートセンターのオープニングがあり、副知事や館長、建築家などのスピーチが賑やかに行われた。何人かの人と挨拶を交わしたあと、私たちは約束通りミシェル・サンダースの自宅アトリエに向かった。

彼女はパリ生まれ、父親が北のノルマンディ出身で、常にジャズの音楽が流れる環境で育った影響から、自然と音楽への情熱に繋がり、アメリカのマサチューセッツ州にあるマウント・ホリヨーク大学で奨学生として留学生活を始めた。水曜の夜は、ニューヨークまで車で出かけ、ハーレムのアポロシアターで開催される世界的に有名なアマチュアナイトを観て過ごした。

1979年、パラダイスガレージの常連だった彼女は、そこでアンドレ・サンダースに出会った。アンドレは、パラダイスガレージの常駐DJラリー・レヴァンがミックスしたビリー・ニコラスのディスコ名曲「Give your Body Up to the Music」をプロデュースした。

「初めて行った時、私はノーマ・カマリの衣装を着てハイヒールを履き、毛皮のコートを着て舞台裏にいた」とサンダースは回想する。

アトリエ提供

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ガレージの常連となり、音楽やダンス、ファッションを楽しむダンサー仲間とともに毎週金曜と土曜の夜に通うようになっていた。ニューヨークのダウンタウンで若き日のサンダースは、夜通しダンスに明け暮れていた。疲れを知らない子供のようだったとも回想する。

その後、彼女はシリアス・インテンションやアニソン・アンド・ザ・キャンプなどのアーティストのマネージャーになり、音楽シーンのビジネスの構築に専念した。

「私はプリマが率いる小さなグループの一員だった。彼が率いるグループで私たちは一緒にリハーサルをし、一緒に服を着て、一緒にダンスをした」。

毎週違うコンセプトを設定し、戦没将兵追悼記念日、独立記念日、8月のビーチ・パーティ、クリスマス、新年と、テーマごとに工夫を凝らす演出を楽しんでいた。金曜日はスポーティで、土曜日はキラキラ輝くスパンコールで思いっきり楽しんでいた。毎週火曜日に6番街と38ストリートにあるM&J トリミングに集まり、同じ情熱で手作りのクリエイティブな動きを相談した。ガレージではボーイ・ジョンズ、マドンナ、ダイアナ・ロス、グレース・ジョーンズに写真やサインを求める人はほとんどいなく、純粋にダンスを楽しみに来ていたと回想する。

カーネギーホールで楽屋を借り、リハーサルのために集まり、ガレージでは照明係にスポット・ライトを当ててもらった。プリマがサンダースを空中に投げ飛ばすシーンは一世を風靡した。合図はあったがほとんどアドリブに近い動きだったという。

キース・ヘリングと一緒にダンステリアで逮捕されるなど、どんちゃん騒ぎは警察沙汰にもなったが、あまり気にする人もいなく、ダンスはすべての真理に近い存在だった。

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その後、結婚してしばらくはオランダのアムステルダムに移住し、40代で子供を出産した。しかし、結婚生活はうまく行かず、サンダースは再びニューヨークに舞い戻り、80代になった今でもダンスを続け、ファッション・ショーのモデルも続けている。

彼女の自宅アトリエには、部屋全体が古着と衣装部屋化し、廊下の壁両面には若き日にニューヨークのガレージで活躍していた時代の写真が所狭しと飾られている。そこには、キース・ヘリング、ダイアナ・ロス、マドンナ、そしてダンサー仲間たちとのこれまでの彼女のヒストリーがすべて晒し出されていた。

唯一の息子はロスに暮らすアーティストで、たまに帰ってくるという。

キャッツキルを彼女は、「新たなブルックリン」と称す。80年代の象徴的なダウンタウンのナイトクラブのスター、パラダイスガレージで夜通し踊っていた彼女は、キャッツキルで30年、マイアミで短期間、そして再びキャッツキルに戻ってきた。ニューヨークのダウンタウンから北部のクリエイティブな地域への移住は、彼女にさまざまな自由を与えてくれるという。都会では、実用的な黒の服を重ね着し、バックパックを背負って都会のジャングルを移動するが、キャッツキルでは田舎町ならではのファッションの自由がある。クローゼットにあるすべての服を自由に試すことができ、1日に5回着替えても大丈夫だ。彼女は客室をクローゼットに改装し、まるで古着屋に住んでいるようだ。ベッド・ルームも舞台のようで、壁全体を絵で囲い、寝ている時も演出されているように見える。若い頃に都会で過ごした贅沢な生活が夢のようだと言う。彼女は、真のニューヨーカーの視点から、アップステートでの生活を楽しんでいる。80代になっても踊り続けるクールなクリエイター、真の創意は生活そのものだ。

photo by WENLING

自宅のすぐ近くには、キャッツキル河がハドソン川と合流するポイントがあり、鳥たちが棲息しやすい自然環境が広がり、ラムズホーン鳥類保護区がある。コルゲート湖までは40分の距離だと嬉しそうに話す。田舎に住み、のんびりと庭で自給自足なスローライフを楽しみながらやりたいことをやり続ける、生涯現役のかっこいい一人暮らしの達人に出逢えた。キャッツキルでの週末は、そんな彼女のストーリで充電された贅沢な時間だった気がする。

洪欣

東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。ダブルスクールで文化服装学院デザイン課程の修士号取得。その後パリに留学した経験を持つ。デザイナー兼現代美術家、画廊経営者、作家としてマルチに活躍。アジアを世界に発信する文化人。