もの寂しい冬のある日、突如嬉しい知らせが届いた。栄宝斎(南京)2022文物・美術品オークションにおいて、田志剛作『松鷹図』が115万元(約2540万円)で落札された。近年のパンデミックや世界経済の成長の減速によって陰りを見せていた美術品市場は、青壮年画家たちの目覚ましい活躍によって自信を取り戻し、業界の内外に写意花鳥画の後継者の存在と中国文化の従藍而生の自信を示した。先ごろ、われわれは青年画家で美術教育者である田志剛氏と「筆墨記録時代」における美学の価値について語り合った。
絵を描くことは自由な世界である。大自然が田志剛の最初の教師であった。彼は子どもの頃、木の枝で地面に絵を描くのが好きだった。そこには破れることのない画用紙があり、絵筆は無尽蔵にあった。その頃、彼はまだ、その昔、故郷から数百里離れた滁州で、偉大な母が葦で砂に絵を描いて息子を一代の文豪に育てた物語を知る術もなかった。
黄色い大地と豊かな文化の土壌が子どもの純朴な魂を潤し、悠々たる大地と美しい民間の伝承が自由奔放な想像力を育んだ。田志剛は芸術への想像の翼を大きく広げて故郷を離れ、南京、北京へと赴き、ひたすら美の神髄を探求した。
工筆重彩画の大家である蒋采萍は、李可染、蒋兆和の流れをくむ。田志剛は蒋采萍に師事する中で、思索を深め、模写にいそしんだ。繊細な色彩、変化に富む姿態、舞い上がる天衣など、敦煌の人物画から筆勢や輪郭の描き方を体得した。
石斉に師事してからは、「三象合一」の創作理念を構成に取り入れた。田志剛の大作は、濃い色彩で重墨とのバランスをとり、全体の調和を図っている。近年は、呉石悦から写意花鳥画を学び、引き算の構図を取り入れ、色彩の個性を際立たせるというまったく新しい画法を模索している。
「外に造化を師とし、中に心源を得たり」。田志剛は大自然から学ぶことは達人から学ぶことと同様に大事だと考える。真の芸術は生活と切り離すことはできない。大自然は田志剛の第一の教師であり、彼はずっと大自然と共にあった。小さなアトリエから飛び出して広大な自然の懐に入り、山水と親しみ、大地の色彩を感じ取った。雄大な燕趙、秀麗なる皖南、中原の大地…そこかしこに足跡を残した。写生と写意の反復作業によって、田志剛の作品には次第に形と精神が備わるようになった。
師である石斉は「大多数の人から称賛されているうちは、成功からはまだ程遠い。少数の人に認められてはじめて真に創作の境地が高まったと言えるのだ」と語った。恩師の諫言は田志剛の戒めとなっている。彼の作品の価値は年々高まっているが、彼は慢心することも怠ることもない。
田志剛は鷹を描くことで名声を高めていった。多くの専門家が、彼の作品は、李苦禅の描く鷹の神髄を心得ていると称賛する。中国の教育テレビ番組『墨香』から名講師として出演依頼を受け、美術愛好家に向けて写意花鳥画の技法をレクチャーした。田志剛は喜んで筆を執り、斗方(門や壁に貼る四角い紙)に滑空する勇ましい鷹を描いた。「画竜点睛」と言われるように、田志剛は、人物の個性を表現し作品に格調をもたせる上での眼の重要性を強調した。彼は鷹を描く際に、まず眼から始める。眼の位置を決めた後、鷹の姿態、風格を描き、その後全体のレイアウトを考える。他に類を見ない独創的な技法は、一瞬にしてディレクターや観衆の眼を釘付けにした。
「美に対する感性は天賦のものですが、技術を身に着けるには鍛錬が必要です」。テレビ画面の向こうで、田志剛は興味深い話をした。大空を征服し、鋭敏で、勇猛かつ天衣無縫な鷹を描くことは容易ではない。鷹を描き始めた頃、紙屑は人の身の丈ほどに積み上がり、描き潰した筆は数え切れない。毎日、鷹の動きを細かく観察して模写するうちに、幻覚を見ることもあった。技法の壁にぶつかり答えを求めていた時、幼い息子に聞いてみようと奇抜な考えが思い浮かんだ。「子どもは、この世界を初めて見る時、好奇心でいっぱいです。認識体系が定まっていない子どもは、物象を鋭敏かつ直感的に認識します」。子どもの純真な眼は天然の物差しである。
「頭はそんなに大きくないよ!」「そんなに太ってないよ!」。息子の容赦のない指摘に、田志剛はためらうことなく絵を破棄し、一から書き直した。そして、「怖い、怖いよ!」という息子の声を聞くと、心置きなく筆を置いた。鷹は完成した!かつて白居易は、女性や子どもが読めるようにと、できる限り通俗的で平易な詩を詠んだ。今日、田志剛の描く鷹に幼子は感嘆の声を上げる。優れた芸術とは高尚なものではなく、深く人びとの心に響くものでなければならないことが再び証明されたのである。
田志剛は、イラン大使館のイマーム・ホメイニー学校のアリ校長の招請を受け、生徒に中国画の技法を教えた。中国画の紙や墨や顔料に触れたことのない子どもたちは、田志剛を囲み、墨の香りを嗅いだり、宣紙に触れてみたり、田志剛が魔法のように色を調合したり、スケッチをしたり、淡墨を重ねる様子に見入った。横暴で愚鈍なカニ、墨を塗り重ねて表現した青々としたブドウの葉。子どもたちは、現実の生活から生まれ、現実の生活を超えた中国画の世界にすっかり引き込まれた。
キューバ大使館のコレクションである『凌雲之志』には、崖の上に立つオオタカが描かれている。余白を多くとる留白の技法によって、大胆でシンプルな構図になっている。禽畜は一切描かれていない。オオタカが振り返る瞬間を捉えたこの作品は、力強くもの寂しいタッチで、鷹の気高さや警戒心、獲物を狙う姿が描かれており、鷹の不屈の精神が横溢している。
イラン大使館のコレクションである『一覧衆山小』、ベルギー大使館の元参事官の個人コレクションである『鵬程万里』では、映画の手法を取り入れ、近景には翼を広げるオオタカを、遠景には雄大な山河を描き、一日で万里を旅する鷹を強烈なコントラストで表現している。山々は頭を垂れ、万物が賛嘆しているようだ。
時代の精神と美徳、文化、歴史を描くことが絵画芸術の使命である。田志剛は祖国の山河へのほとばしる情熱をもって、自身の心の内を大作に表現し、高潔で格調高い芸術の価値を示してきた。
『中国雄風』は、長さ2メートル、幅1メートルの山水画であるが、端麗な色彩、奔放な筆致、上品な構図、バランスのとれた構成が特徴である。高々と聳える青山、断崖絶壁、霞に包まれた山々から昇る一輪の朝日が、煙霧を払い希望を映し出す。見る者は高揚し、感動で表情を変える。半世紀以上前、胡佩衡ら七名の巨匠が山水画の大作『岱宗旭日』を創作し、「十月革命」40周年を記念して当時のソ連に贈った。東の空から昇る朝日、雄大な山河、そして躍動感。眼前の『中国雄風』は『岱宗旭日』を彷彿とさせる。
『龍騰東方』では、商・周時代の青銅器の螭龍や紅山文化の「中華第一龍」のイメージを巧みに取り入れ、昇天する東洋の龍を抽象的なラインで表現した。洗練された中国の伝統的な波の造型が、昇龍に動きと神聖さをもたらし、上段、中段、下段のバランスをとっている。扇子を手にした花旦がモチーフとなり、京劇で忠義を表す赤の面譜と知恵を表す青の面譜が左右に配置され、緊張感に満ちている。さらに、東洋の書画の力強さの象徴である「幽蘭暗香」「墨竹虚懐」を淡彩で花旦の扇子や衣襟に施している。作者の巧妙な構想と細やかな描写が、見る者の心を打つ。作品全体が濃い色彩で豪放に描かれ、表現法から構図に至るまでのすべてが、文明古国の勢い盛んな文化の自信を映し出している。
新中国成立70周年を記念して、天安門地区管理委員会と中国書画家聯議会が共催する「拓丹青画巻 和盛世新声」——優秀中国画山水花鳥作品公益展が開催され、組織委員会は全国各地から36点の優れた中国画の大作を選定し、天安門城楼大殿、観礼台貴賓室など主要会場に展示された。田志剛が精魂を傾けて描いた『鷹撃長空』(265cmx140cm)は入選を果たした。ネパール大使館のコレクションである『雲謄峰起』では、田志剛の熟練した溌墨・溌彩技法が存分に発揮されている。悠遠で勢いがあり、情感豊かで、伸びやかさがある。田志剛の筆によって、中国画は東洋の大国の文化の魅力を伝え、時代復興の楽章を記録する生きた言語となった。
田志剛の作品はテーマが広範で、スタイルも多様である。層墨重彩、工筆細描、留白、細密描写など画法を選ばない。「絶え間のない試行錯誤によって、自らのスタイルを見出すことです」。田志剛が長年の創作活動を通して得た結論であり、後進へ贈る貴重なアドバイスである。道は足下にあるのだ。
トップニュース
2024/12/24 |
||
2024/12/19 |
||
2024/11/20 |
||
2024/11/27 |
||
2024/7/4 |