上海の宝山1919アートヴイレッジで、抽象絵画の代表作家の一人である陳墻(Chen qiang)氏を取材してきた。近作が並ぶアトリエは、わりと綺麗に整理整頓されていた。
2時間近い取材の間に彼が語った言葉は、哲学的であり、まるで学者と対談しているような錯覚に陥るほどだった。90年代から一貫して続けてきた抽象絵画の制作は今も続いているが、何年かに一度は作品のスタイルがガラッと変わっているイメージがある。
近作シリーズは、以前の作品に見られるプロセスの複雑さから解き放たれた印象を受ける。反復する描く行為自体に複雑性を持たせるよりも、筆致やラインから偶然に削られて浮かび出る豊かな色の「煌びやかさ」に、これまでこだわっていたものを放念したようにも見える。アーティストは語る。「私たちは、作品を通してアートの本質と命の本質を探っているのです」。
1960年、中国湖南省生まれの彼は、特殊な時代背景のもと、安全のために親に鍵を閉められて一日中一人で過ごすことが多かったという。少年は、ひとり遊びをするうちに、自分の中に混在しているもう一人の自分と自然に対話する習慣がついていた。一人芝居ではないが、もう一人の自分が存在すると感じていた。幼い時の「もう一人の自分」は、もっと感性が冴えていた気もする。
家族代々医者が多く、父親から家業を継ぐことを求められたが、「医者は人間の体を治すが、アーティストは人間の精神を治癒する」と考え、自分のやりたいことを選んだ。
大学を卒業して間もない90年代から続く抽象絵画への執念は、常に自己挑発と自己抵抗の連続だったと彼は回想する。アートは、ある種DNAの変異のようなもので、その幻のような姿を捉えようとするとふっといなくなる。まるで海に浮かぶ蜃気楼のようであり、あるいは、真夏の森をひらひら舞う蝶々や蜻蛉のように、追いかけると逃げてしまうが、時々訪れては枝に立ち止まることもある。
初期の作品は、きめ細かく薄い宣紙に規則的な格子を作り、その格子に墨で丸を描き、次に鉛筆で何度もそれを破壊し、塗り潰してはまた重ねるという作業をストイックに続けていた。
言語(文字)抜きで人間の魂と対峙できる抽象絵画。彼はコロナ禍で再度家の中に閉じ込められ、一人遊びを再び経験することになる。幼い時の記憶が蘇る瞬間が印象深いと話す。旧正月休みに訪れたスウェーデンのアトリエで帰国できなくなった彼は、小さなキャンバスに新たな形の作品を描き始める。一種の実験にも近いこの作品群は現在、上海で大きなキャンバスに描き直しているようにも見える。作品名は、絵画23-42というように描いた年と番号だけで構成されている。
大きな手術を経験した陳氏は、死生観に大きな変化をもたらした。「感じること」と「認知するもの」との間には少しズレがある。同じ筆致の同じ行為を重複するようにも見える抽象絵画プロセスは、時間軸の中では決して同じではない。厳密にいうと重複ではなく、いわゆる「形式」の重複に過ぎない。時間の「点」から、時空の「線」に至る命のプロセスは、大きなキャンバスと空間の間で一つの「場」を形成する。そして、その「場」で描く行為をしている主体としての人間は、瞬く間に「虚無」に帰化する。
新作シリーズは「遠望」と「近観」という二つの展示会形式で2023年に美術館個展として発表する。人の目を気にしなくてもいい自在さを手に入れたようにも見える新作シリーズは、何重にもきめ細かくテクニカルに反復していた若き日の「技術」へのこだわりからも解放されたように見える。それは、鉄の柵にも見えるが、都会のコンクリートのジャングルで行き交う無駄に忙しい現代人の日常にも感じられる。主観的に見た一観賞者としては、絵の具の奥に隠された豊かな色の層、その誘い出された色のリズムは軽快であるが、重苦しさも同居している。装飾的で人の目線を意識していた20年前の作品と比べて、相対的に自由だ。しかし、もちろんそれだけに限らないのが、抽象絵画の醍醐味である。
一人遊びができる人独特の「孤独」を楽しんでいるような飄々とした気質。それは、秋の水の中で最後の命を全うしようとする「枯荷(はいか、葉が枯れ茎も折れた蓮)」にも見えるが、隣の人が誰かわからない都会人の距離を置かれた「異邦人」感にも近似している。何であるかを決めるのは「観賞者」の自由だ。「正解」は存在しない。
ストイックで規則的な幾何学的な画面から、鋭角的な自己挑発と反省を保ちながら哲学的な思考を深めていく「自省的」なプロセスは、究極的にはアトリエから画廊の空間や美術館の空間へと延長線を作る。
曇り空で多少肌寒かった天気も晴れ渡るようになった昼下がり、スウェーデンの美味しいコーヒーの香りに癒されながら、取材の最後に雑談をして終わらせた。作家と対談したというよりも哲学者と午後のひと時を過ごした錯覚に陥る、いろいろと考えさせられた深い取材だった。
旅先のスウェーデンの小ぶりの作品たちと上海の拡大された抽象絵画は、延ばされた写真のようにも見える。創ったのは、哲学者であり、詩人であることを感じさせられた。
洪欣
東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。ダブルスクールで文化服装学院デザイン課程の修士号取得。その後パリに留学した経験を持つ。デザイナー兼現代美術家、画廊経営者、作家としてマルチに活躍。アジアを世界に発信する文化人。
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