周恩来生誕126年・「平和共存五原則」70周年記念のスピーチ要旨
大同を求め 和平を祈願

1917年秋から1919年春にかけて、青春期の周恩来は「中国の奮起のために学ぶ」という雄志を抱き日本に留学した。

1918年2月25日、周恩来は日記に留学と人生の目的を「進化の軌道に従って、大同に最も近いことを成すべし」と書き記した。

1919年4月5日、周恩来は一度ならず二度も嵐山を訪れ、見下ろした夜の京都に惹かれたらしく「数十の電光」(「雨後嵐山」)のきらめきに目をとめ、近代化と中国の社会発展との相関関係を悟り、ひとえに「一点の光明」(「雨中嵐山」)を突き止めたと描写した。

1954年11月11日、周恩来は日本の学術・文化代表団と会談した際、「真の『共存共栄』の種をわれわれの間に見出さなければならない。私はその種があると思う」と語った(『50年代の周恩来』遼寧省人民出版社、2017年)。

1972年、「種子」が実らせ、中日共同声明の発表並びに、国交正常化はついに実現されることに至った。

1979年、中日平和友好条約締結記念として、関西地域の友好団体が嵐山の麓に「雨中嵐山記念詩碑」を建てられ、2022年には中日国交回復50周年を記念して、周恩来平和研究所が嵐山の頂上に「雨後嵐山記念詩碑」を建立した。二つの詩碑は渡月橋上流の保津川(渡月橋からは桂川)を挟み対座して大同の理想と実践を呼びかけ続けている。

2023年、周恩来生誕125周年・中日平和友好条約締結45周年記念の節目に、周恩来平和研究所は周恩来のご親族を招き、日本における周恩来記念活動を開催した。

今年・2024年は、周恩来生誕126周年であり、「平和共存五原則」ご提唱の70周年記念でもある。4月の清明の節に際して、周恩来のご親族・周秉徳女史と沈清先生より書面挨拶、孔子第79代目の嫡長孫孔垂長ご夫妻を嵐山でお迎えすることができた。以下、井戸を掘った先人に感謝を捧げて世界平和の祈行を誓った代表者のスピーチ文の要旨を紹介させていただく。

周恩来ご親属周秉德女史

習近平総書記は周恩来の誕生120周年記念式典で、「周恩来」という名前は光栄で不朽の名前であり、この名前を聞くだけで温かく、誇りに思うと語った。

1919年4月、21歳の周恩来は雨の中、京都の名勝・嵐山を訪れ、「雨中の嵐山」と「雨後の嵐山」という名作二首を創作し、中華の振興を志す切なる願いを感慨深く吟じた。

新中国成立後、周恩来総理は多忙な中、文化財の保護に心血を注いだ。動乱の時代においても、必死に守ったため、多くの貴重な文化財が今日まで保存されることになった。とりわけ、孔子廟、孔府、孔林などは被害を免れることができたのだ。

周恩来が新中国の総理として26年間の任期中、中国の指導者として、各国との友好的な交流の中で、特に日本の各界の友人との会見が最も多かった。中国と日本は隣国であり、深い歴史的なつながりを有しており、古代の交流から近代の波乱を経て、そして現代の平和な発展に至るまで、二国間の関係は紆余曲折の歴史を通過してきた。かの不幸の歴史は障害となるべきではなく、前進する力となるべきではないか。歴史を鑑に、平和を大切にし、未来を共に創造していこうではないか!

 

孔子79代直系嫡長孫

孔垂長氏

率直に言って、私はこれまで青春時代の周恩来先生のことをよく知らなかった。「周さん」と呼びたくなるような青春の若さあふれるときに理想を胸に大志を抱き、「中華崛起のために勉学する」ため日本に留学したというが、目指された大同社会は先祖の孔子が創立した儒教文化の中の理想的な社会目標であり、従来の学ぶものが奮闘する人生の目標でもある。

また、生活の中の周恩来先生は質素で自律的で、克己で身を修め、人に対して穏やかで優雅で、多くの日本の友人から認められていることを知った。これも、儒教文化の教養の理論は、政治を超えて、国境を越えて、普遍的価値を持っていることを示していると思われる。

周恩来先生は前世紀から中華伝統文化の貴重な遺産を保護するために多大な貢献をしておられた。特にあの特殊な歴史の時期に、孔府、孔廟、孔林の破壊を制止し、可能な限り貴重な儒教文化の遺産を保護した。馬一浮先生や梁漱溟先生のような儒学者をも最大限に守り、儒学を火種のように伝わることを可能にした。ここに、私は謹んで国内外の三百余万の孔氏宗親を代表して、孔子の思想を認めるすべての儒学同士を代表して、心からの感謝を述べさせていただく。

今、われわれは青年周恩来が残した詩と足跡の美しい嵐山で、周恩来先生を記念するのも、仁道の理念・儒教の大同理想が、異なる文化、異なる人種の間に横たわる危機と衝突をやめさせて、永続的な世界平和への基点の一つになりますようにと願うのみである。

 

外務省アジア大洋局中国

モンゴル第二課石飛節課長

外務省に入ってこの4月で25年が経ったが、このうち半分以上の歳月を日中関係のために使った。今の日中関係は、とても「理想的」とは言い難い状況にある。日中国交正常化を成し遂げた当時の田中角栄総理や周恩来総理が、もし今の日中関係を見た場合に、叱責されるのではないかと、私は時々考えるのだ。

日中間には摩擦や矛盾、考え方の違いが当然ながら存在し、時には利害がぶつかることもある。しかし、田中角栄総理や周恩来総理を始め、偉大なる先人たちは、日中両国の政治体制の違いを前提として、国交正常化を成し遂げ、その後も日中関係を発展させてきた。私たちは、日中関係がうまくいかない理由を時代のせいや相手のせいにしがちだが、こうした態度は間違っていると思う。時代背景は違えども、先人たちにできて、今を生きる私たちにできないということはないはずだ。では、私たちに何が足りないのか。それは、政治的リスクを取り、相手の立場に配慮して一歩譲るという、「勇気」と「覚悟」ではないだろうか。

論語の教えは、私たち日本人の生活に根付いている。私が好きな言葉に、「己の欲せざるところ、人に施すことなかれ」という言葉がある。今、日中双方に求められているのも、まさにこうした相手の立場に配慮して一歩譲るという精神ではないか。もちろん「言うは易く、行うは難し」である。だからこそ私は、政治的な「勇気」と「覚悟」が必要であると考えている。

*   *    *

尚、大鸞翔宇慈善基金会の沈清理事長、温故創新の会の片山啓事務局長と中国科学技術資料進出口公司の李燕副総裁のスピーチ要旨については、紙面の関係で割愛させていただく。